景行天皇の足跡、御所ヶ岳散策。
御所ケ谷神籠石の特徴
景行天皇が行宮を設けた歴史ある場所です。
白村江の戦いに関連する古代山城の跡です。
御所ケ岳周辺は道が整備されて散策に最適です。
景行天皇がここに行宮を置かれたので京(みやこ)と呼ばれた。京都郡の起源である❗️したがって、神籠石は3世紀以前に築かれた。4世紀に神功皇后がここに拠る忍熊王を撃破。神籠石は壊されたようだ。ここは邪馬台国の城跡である❗️
2020年の12月に行きました。駐車場から結構歩きます。全部見てまわるには少し時間がかかるかも‥自分は知らなかったので全部見る前に暗くなってきたので帰りました。
古代の山城で白村江の戦いで敗れた後に侵略に備えて作られたと看板に書いてありました。遺跡も見られ軽い山登りもでき楽しいです。近くに3〜4台駐車でき、少し離れた場所に大きな広場もあるので車で近くまで行けます。
登山口でもあるのでトイレの整備もお願いしたい。
ゴールデンウイークに散策しました。神籠石系山城には数ヶ所訪ねていますが、御所ケ谷神籠石の中門は特に立派です。現地に立つと組石の大きさと組み方の精緻さに圧倒されます。感動しました。こういった山城は、「白村江の敗戦後に、唐・新羅が攻めてくるかもしれないから防衛のために築かれた」との通説があります。本当でしょうか?600年後の元寇の際には、博多湾沿いに防塁を築いて相手の上陸を阻止できたようです。半年間で20kmもの石組みなどを築いたとのことで、石組みは粗いものでした。一方、白村江の敗戦後には、博多湾沿いではなく、西日本の国々に立派な石組みを築いたのは不思議なことです。急ごしらえで築かれたとは思えない立派なものです。白村江の戦いとは関係なく、各国が整備していたのでしょうか。どなたか、新説をお持ちではないですか?
香川の屋島、岡山の鬼ノ城、太宰府の山城に続いて、4つ目の古代山城。都合で中門までだったので、次はもっと見て回りたい。
福岡県行橋市南西部・みやこ市にまたがる御所ケ岳に築かれた古代山城です。663年の白村江の戦いの後、唐・新羅の来襲に備えて建造されたものと言われております。山城内の城壁や水門は当時の土木技術の水準の高さを物語っております。
遺跡のような雰囲気。散策できます。
「御所ヶ谷」という地名は、九州を訪れた景行天皇(12代)がこの地に行宮(仮の皇居)を設けたとの言い伝えによります。遺跡のほぼ中央の見晴らしのいい高台に、景行天皇を祀る神社があります。「神籠石(こうごいし)」とは、山中に列石や土塁、石塁で囲いを作った遺跡のこと。7世紀後半に造られたとされているので、1300年経っているのに立派な石積みが残っていてスゴい!道は狭いですが駐車場があって、かなり高い所まで車で行けるので、巨大な石積の壁が残る中門までは歩いて15分あれば行けます。良く手入れされた道があって歩きやすいです。場所によっては木も伐って見晴らしを良くしてあり、気持ち良い散策が出来ました。
名前 |
御所ケ谷神籠石 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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古代山城跡。景行天皇が熊襲征伐を行う際、行宮を設けた場所です。このことからこの辺りは、京都郡みやこ町という現在の地名で名残があります。晴れていると景色が良く、山口県宇部市辺りまで眺めることができます。古代人がどういう想いでこの景色を眺めていたのか想いを馳せました。歴史のロマンを感じることができる貴重な場所です。なお、私は最寄りの豊津駅から徒歩で行ったのですが、中門跡まで1時間10分ほどかかりました。