干拓の英雄、鳥取の未来を築く。
和田得中は越後の大名家臣でしたが、享保2年(1717年)に鳥取藩に召し抱えられ、藩命により福部細川池干拓に従事しながら享保4年(1719年)から大谷干拓を開始し指導に当たり、それから19年間、孫の忠太夫と共に事業を進め元文元年(1736年)に没します。「和田得中 碑」は三代目(孫)和田忠太夫が建てた記念碑で地蔵さまに造られています。随分と暗いのでどちらが正面なのか暫くわかりません。入口に向いているのは石碑の正面でなく向かって左側が入口正面を向いています。石碑正面に(和田得中)とあり、石碑の上部に厚手の頭巾が被せられ、地蔵さまにも頭巾が丁重に被せられています。確認していませんが、台座の右側に(元文二年 和田得中)とあるそうです。地元の人は昔から「得中」を「えっちゅう」と呼び読んでいるそうです。石碑を覆う室内はきれいに掃き清められて佇んでいます。「和田得中 碑」は(穴観音)の境内真横に建っています。
| 名前 |
和田得中 碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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干拓事業を遂行した人物で鳥取の発展に尽力した人物です地蔵菩薩像は大切に管理されてます。