30年の情熱が刻まれた青の洞門。
青の洞門の特徴
禅海和尚が30年かけて手掘りした青の洞門のトンネル跡です、
紅葉の名所競秀峰の裾にあり、山国川対岸からの景観が抜群です、
日本初の有料道路で駐車場無料、おみやげと蕎麦の飲食店も併設されています、
バイクツーリングで寄らせて頂きました。歩いて実際のノミの跡を間近に見ることが出来ます。川には子鴨がいてのどかな風景ですが、昔は大変な険しい道で沢山の悲劇があったとの説明で、感銘を受けました。
まぁね、ココもコーディネーターの私が選んだトコではあるんですが、ただ有名って理由だけで選んでるので、何の遺跡かもわからずでございまして。僧侶が手彫りした道である事を、着いてから知るという情け無さ。もっと下調べして行かんとダメでさぁーね。さて、曲がる交差点のトコに観光客がカメラ抱えてああるので、ついつい道草。耶馬溪橋(八連石橋)が有るってのを知り、撮影へ。八つ目の橋の前に水門があって、かなり離れたトコまで行かないと全景が写せんやーんって言いながら、どんどん歩いて行く行く。やっと撮影。その後駐車場に移動して、徒歩移動です。やはり有名観光地、車もバイクもバスも一杯、人も一杯。ただ、あれだけのトンネルでは無い洞門を、手彫りでやったってのが凄いですよね。自分の為でもあるのでしょうが、人の為にと頑張られたのでしょう。頭が下がります。ありがとうございます。
大改修がされた手彫りトンネル。諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚は、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすとの話をきいて、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと決意し、単身難事業に着手した。その後、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇って「ノミと槌だけで三十年かけて掘り抜いた」といわれている。現在の洞門は、時からは大きく変化しており、明治四十年にはほぼ現在の洞門に近い形状で大改修が一行われ、現在では手掘り洞門の一部を残すのみである。トンネルよりも周りに変わった形の岩山の方が興味が出ました。
20241029青の洞門に到着。洞門を30年かけて手掘りで堀抜いた和尚さんの意思、執念は物凄いですね。いまでは車も通り抜け出来る安全性を担保すると、普通のトンネルぽくて、う〜んっとなりますね。耶馬渓一帯含めて綺麗な場所なんで、対岸から遠目で鑑賞する方が良いかな。
車中泊の旅、訪問は2024/10/末天気晴れ、どんな場所か予備知識無しで車で通過しました。自然の造形と思いましたが後日口コミを見て驚きました。何と人の力で造られたとの事志しある歴史的場所です。
日本初の有料道路、青の洞門駐車場も無料で十分な広さ、道の駅の様な店に飲食店併設されているので食事とおみあげあり(蕎麦が売りなのかな?)近くに唐揚げの食堂あります中津からあげの定番の味で美味しいのでオススメです。近くに山に登る所もありますが好きな人以外はやめたほうが無難かな、1時間弱位で案内所に着く感じ取りあえず現場は切り立った山が迫力満点でしばらく眺めて居られるし、ノンビリがオススメかな(笑)
山国川対岸から見る競秀峰の景観が素晴らしいということで、ドライブがてら行きました。川の両側に駐車場あり、食堂あり、トイレあり。流石に同じ考えのドライブ客が多く、渋滞気味だったので、青の洞門は対岸から眺めることに。江戸時代に禅海和尚が掘った洞門ですが、明治時代行われた大改修で、当初の原型はかなり失われたそうです。今でもトンネル内の一部や明かり採り窓などの当時の手掘り部分が残っています。青の洞門といいますが、洞門は青くはありません。ちょうど紅葉の時期で赤や黄色の紅葉が美しかったです。青の禅海橋を渡ると行き来も出来るし、山国川に降りて鯉に餌やりも出来ます。大人から子供まで楽しめます。春にはこの近くでネモフィラの咲く場所かあるので、その時期も綺麗です。
禅海和尚の手彫りのトンネルは少ししか残っていませんが、ノミの跡が残っており30年かけて手掘りした一端を垣間見る事ができます。羅漢寺下にある禅海堂には禅海和尚が使用していた金槌とノミの現物が飾ってあるのですが、金槌が凹んでいます。ノミの当たる部分が。どれだけの回数を打ったのか想像を絶すると思いますので必見です。
青の洞門と言われて何かを連想することはないですが、ここは昔の人が手彫りで掘ったトンネルです。ところどころにその跡が残っていて、天井がボコボコしているのが証拠です。現在もトンネルとして使われていて、ただ交互通行になっています。入口から少し離れた場所に信号機かあります。下流側に昔掘った人の石像があり、苦労したことが伺えます。時間がある方は、見て欲しい場所ですね。
名前 |
青の洞門 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0979-52-2211 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

大分旅行で訪問しました。江戸時代の僧侶が手掘りで掘ったトンネルだそうです。ある小説の舞台になった場所だそうです。落石があったらしく途中で通行止めになっていましたが、途中までは歩いて行けます。