錦帯橋の創建者、吉川広嘉公像。
吉川広嘉公像の特徴
錦帯橋を渡ると見える、吉川広嘉公の立派な像です。
整備が行き届いた公園で紅葉を楽しむことができます。
吉川広嘉は岩国藩の第三代藩主、偉業を讃えた像です。
錦帯橋を架けられた岩国藩の第三代の当主だそうで、錦帯橋を渡って、岩国城の方に歩くと見えます。この方自体はあまり知らなかったんですが、錦帯橋を架けられた偉人だとわかりました。
2016/10/16来訪。岩国藩三代藩主吉川広嘉公の像で、錦帯橋創健の偉業をたたえて建てられたもの。しかし、岩国藩では二代藩主から十一代藩主までの肖像画が残されておらず、この銅像は、初代藩主と子孫の方の肖像画と写真を合成して作られたものです。
吉川広嘉は、岩国3代領主です。「錦帯橋」を造った領主として有名です。吉川家は、関ヶ原の戦いにより岩国を治めることになりました。領内を見渡せる横山の山頂に城を築き、錦川を天然の堀とした、錦川をはさんだ(横山地区と錦見地区)城下町ができたため両地区を結ぶ橋が必要になりました。しかしながら、錦川は洪水が多く、これまでもたびたび橋が流されていました。そこで、広嘉は流されない橋を建造しようと模索し、家臣に橋の研究をさけたり、模型を作らせたり、視察に行かせたりしました。そんな時、病気がちであった広嘉は、明の杭州市出身の高僧であり医師でもあった「独立(どくりゅう)」とめぐりあいました。独立から、故郷の西湖には小島から小島へと渡る石橋があると聞き、小島のような頑丈な橋脚を作りそれをまたぐ橋を思いつきました。そうして、ついに延宝元年(1673年)10月1日五連アーチの美しい橋が完成しました。創建当時は「錦帯橋」という名はついてなく、公式名称になったのは明治維新後だそうです。
桜の時期に来てみたいと思いました。桜、錦帯橋、山の上の岩国城、城下町の雰囲気…この組み合わせはとても良い写真が撮れそうです。
錦帯橋は1673年に第3代岩国藩主の吉川広嘉が錦川に創建したものです。
吉川晃司の遠い遠いご先祖さまらしいです。
公園の正面にあります。
読みは「きっかわ ひろよし」、岩国藩の三代藩主で、錦帯橋創建の偉業を讃え像が作られました。まぁ錦帯橋を造ったのは、大工さん達なんですけどね。ちなみに二代藩主~十一代藩主までは、肖像画が残っていないので、この像は初代藩主と子孫の肖像画や写真を合成して造られたそうなので、顔は全くのデタラメということになりますね。想像図?
りっぱなさむらい。
名前 |
吉川広嘉公像 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0827-29-5116 |
住所 |
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評価 |
3.5 |
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吉川広嘉公像。(202010)※作者不明。岩国藩三代藩主吉川広嘉公の像で、錦帯橋を創健。🅿️錦帯橋下河原駐車場。🚻錦帯橋公衆トイレ※客観的に普通の物が『最高』の評価にはなりませんので悪しからず。