竹林に囲まれた南北朝時代の戦跡!
星ノ岡城跡の特徴
南北朝時代に築かれた歴史ある城跡です。
竹林が茂る山道を進むと神秘的な雰囲気が漂います。
昔の大きな戦を思い起こさせる歴史的なスポットです。
昔ここで大きな戦があったようです。その説明書きがありました。
山道は竹林が邪魔になるくらい茂ってます!山道はかなりの急勾配です!!
築城年数は定かではないようですが、南北朝時代に築かれた物らしいです。今は明治17年5月仙波太郎を中心とする方々によって建立された「星岡表忠之碑」が立っているのみです。以下参考までに。元弘の変(1331年)後、次第に衰微してしいく鎌倉幕府を倒し王政復古を目指した後醍醐天皇の皇子護良親王の令旨を受け、久米郡の土居通増、桑村郡得能(周桑郡丹原町)の得能通綱温泉郡忽那島(中島)の忽那重清越智郡大三島の大祝安親らが兵を挙げた。元払3(1333)年、長門探題の長官であった北条時直は、伊予の勤王軍討伐を目指し兵を率いて、2月2日越智郡の石井浜(今治市近見)に上陸したが敗退した。続いて3月に入り、水居津(松山市今出か三津付近といわれる)、に上陸、星の岡城を占拠した。3月12日、付近に集結した土居、得能らの連合軍の攻撃開始で激戦となり、戦線は平井付近まで及んだ。探題府の軍は全滅に近い敗北となり、時直は身ひとつで逃れたといわれる。この戦いが諸国を動かし、朝廷に応じる武士が次々と出て、建武新政と呼ばれる王政復古成立の大きな原因になったといわれる。
| 名前 |
星ノ岡城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
|
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雲門寺から登りました。上まで5分かかりません。途中分岐がありますが、右側のチェーン張ってある方が順路です(反対は星岡温泉側に通じています)道も綺麗に整備され、散歩に良いと思います。上はベンチや石碑があり広いです。