スポンサードリンク
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
| 名前 |
音更町寺子屋教育発祥の地 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
銘板より小学校から大学までの学制が明治5年(1872)にしかれ、教科書が明治19年(1886)に国定とされる中、明治30年(1897)、岐阜県から「武儀団体」が中士幌原野に入植しましたが、子弟の教育の機会、設備が無く親たちの悩みでした。明治31年(1898)、幹線12番地に堀勝十郎が児童7名を自宅に集めて「寺子屋式教授場」をつくりました。これが音更初の師弟教育の始まりです。以後、各農場や団体移民・然別・下士幌等地区ごとに「簡易教育所」「特別教授所」等が設置されていきました。