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上古に大国主命が伊予に来て熱田津の石湯の温泉を発見し、その源泉を探して東方の湯山 の山深くに分け入り此の処に須佐之男命を祀り給えと告げられた、と言う伝承があります。後に世人は一祠を設けて湯爾来の宮と称えましたが、 何時しか也奈来と訛り、遂には柳の 文字を用いるに至りました。防疫神として松山一帯の里人の崇敬厚く、 松山藩主の直参が有り、 明治3年まで毎年代官 による代参奉幣がありました。戦前までは 「椿祭り」 を凌ぐ参拝がありました。 ここをお参りして道後に泊り、次の日に お椿さんをお参りするというのは、当時の庶民の新春の楽しみでした。