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旧町名継承碑、西長堀南通一~六丁目。東西に長く伸びる西長堀公園の、西端エリアに建てられています。現在は、北堀江一~四丁目・新町一~三丁目の一部となっています。明治初頭、大坂三郷南組の平右衛門町・吉野屋町・宇和島町・富田屋町・長堀白髪町・高橋町と、天満組の御池通四~五丁目の各一部、及び北組の北堀江三丁目・宮川町・二本松町・西浜町の各一部にあたる地域でしたが、明治5年に西長堀南一~五丁目・北堀江下通四丁目・北堀江裏通一~二丁目・北堀江一~三番町の各一部となりました。明治22年4月の大阪市制施行に伴って大阪市西区に編入された後、昭和34年に北堀江上通一・五丁目・北堀江御池通四丁目・北堀江一番町の各一部が西長堀南通一~五丁目に編入され、北堀江一~三番町の各一部が西長堀南通六丁目になりました。この町名は、長堀川の西にあたる地域の南側通に面した町で、西長堀北通に対して付けられたものでした。