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大阪メトロ堺筋線の堺筋本町駅で下車し、8番出入口「船場東」から地上に上がって回れ右をして東に歩き出すと、進行方向右側に、こいつがにょっきりと建っている。有料自転車駐車場のすぐ横に建っていて、視線の先の船場センタービル壁面のロゴのほうが目立つため、この碑を見逃すことはあっても、目を惹かれることはまず有り得ないだろう、という位置である。明治初頭、大坂三郷南組の唐物町一丁目・唐物町二丁目上半・唐物町二丁目下半・唐物町四丁目・南渡辺町・葭屋街の各一部であったが、明治5年に南渡辺町を除く各町をもって唐物町一~四丁目となった。下って、昭和5年に南渡辺町の一部が唐物町五丁目の一部に編入された。平成元年の南区・東区統合で中央区となり、その際、唐物町一~五丁目は、南本町一~四丁目・船場中央一~四丁目の各一部となって、この町名は消滅した。町名の確かな由来は不明であるが、江戸時代には長崎での貿易品を「唐物」と呼んだことから、唐物の取り扱いに関係があると思われる。