水沼君ゆかりの神社で歴史を感じる。
弓頭神社の特徴
景行天皇関連史跡として、歴史が息づく神社です。
主祭神は国乳別皇子で、古代の政治の中心地として栄えました。
大きな藤棚があり、春には美しい花が楽しめます。
いつも横を通っていましたが、中々行く機会が無く今回初でした。はっきりいって侮っていました。中はとても広く、沢山の自然に囲まれてました。歴史も相当の様です。オススメです。藤棚も有名です。以下引用させて頂きました。弓頭神社(ゆがしら・じんじゃ)は福岡県久留米市三潴町高三潴(筑後国三潴郡)にある神社。主祭神は国乳別皇子。郷社。通称は弓頭大明神。歴史創建不詳。国乳別皇子は景行天皇の皇子で、水沼別氏の祖とされる。近くに国乳別皇子墓がある。 祭神は神功皇后の朝鮮出兵の際の弓大将だという伝承もある。 944年の高良山文書神名帳に記載のある御県神に比定される。 明治6年6月、郷社。 国乳別皇子を祭神とする神社としては他に愛媛県宇和島市の宇和津彦神社がある。[社名(御祭神)]弓頭神社(熊野速玉神、春日神、国乳別命、速玉男命、天児屋根命)[社格]村社[住所]三潴郡三潴村大字原田字京田[由緒](略)[境内社(御祭神)]安房社[摂社(御祭神)]記載なし。[末社(御祭神)]記載なし。
県道701の道沿い、小学校横に鎮座する神社。樹木群が目印になる。由緒が境内に掲示してある。道路沿いの鳥居を過ぎると石灯篭、両サイドに神楽殿、狛犬、桜門、牛の像、門、標柱、御社となる。参道を通りながら周囲に目を向けると変化に飽きない。境内社に天満神社が鎮座している。牛の像も関連しているのだろう。拝殿の上を見上げると菊花御紋が目に入る。
景行天皇関連史跡。熊襲征伐に九州に来た景行天皇の妃に襲武媛(ソノタケヒメ)がおり、3人の子がいた。その三皇子の一人、国乳別皇子はこの三潴の地を治めていた水沼氏の始祖とされ、この弓頭神社の祭神となっている。・国乳別皇子(クニチワケノミコ)…水沼別(ミズマノワケ)の始祖・国背別皇子(クニソワケノミコ)…別伝では宮道別皇子(ミヤジワケノミコ)・豊戸別皇子(トヨトワケノミコ)…火国別(ヒノクニノワケ)の始祖また神功皇后が新羅を攻めたとされる際に弓頭(弓大将)として従いこの神社が建てられたとされる。因みに神功皇后は景行天皇の孫(仲哀天皇)の妃。
駐車場はありませんが、通沿いに1台くらいならスペースがありました無人の神社さんですが綺麗にお手入れされています玉満天満宮さんの兼務のようで、御朱印は予約が必要です。
神功皇后ゆかりの神社⛩️神功皇后を支援していた水沼君の領地だった場所で、境内はそれほど大きくはないが、掃き清められて気持ち良くお詣りすることが出来ました(*^^*)大きな藤棚があるので、花が咲く時期に来ればもっと良いかも。
御朱印は、電話にて予約する感じになってるみたいです。素敵な雰囲気の神社です。
菊の紋がつけてあります。
水沼君が治めたという三潴とは、言うほど低湿地であったのかと、改めて調べる気になった。その中心となったのが、西鉄三潴駅にほど近い高三潴のこの地であるらしく。行ってみると「三潴の駅」向かい、三潴小学校の隣にあった。景行紀に曰く。次なる妃の襲武媛、國乳別皇子と國背別皇子(一に云ふ宮道別皇子)、豐戸別皇子を生みたまふ。其の兄なる國乳別皇子、是は水沼別の始祖なり。弟なる豐戸別皇子、是は火國別の始祖なり。弓頭神社は、この水沼別(みぬまわけ)の始祖たる國乳別皇子(くにちわけのみこ)を祀る。日本武尊と同世代、八幡神より古く由緒正しい神なのに、あまり知られていない。さほど広くはない境内なのに、開けた感じ。古くから人々が集まり栄えた土地ゆえか。「弓頭」の意味は、神功皇后征韓に際し弓大将を務めたと説明されているけれど。旦那の仲哀天皇が日本武尊の子だから、神功皇后は皇子より一世代後。別人の豊姫に仕えたのだろうか。それとも後継者が皇后に仕えたのだろうか。近くにある烏帽子塚は、國乳別皇子を祀る前方後円墳であったという。隣町の大善寺に鎮座する御塚古墳の2倍くらいある大古墳ゆえか、早くに宅地と化しており、後円部のごく一部が残る。御塚古墳と比べたら、当社もその一部か入口程度だったかも知れない。記紀に記さない宮処が此処にあったと見るべきであろう。筑後川河口、柳川の隣にあって、福岡県内には珍しい平野が広がる。今では下流の柳川が水郷と知られるくらいだから、上代には此方が水郷であり米どころだったのだろう。それは納得するしかない。ただ何だろうか、何か見落としている気がしてならない、何だか不思議な場所である。
主祭神は国乳別皇子です。国乳別皇子は第12代景光天皇の皇子で、水沼別の始祖にあたります。この地の高三潴は水沼の君累代の政治の地であり、古代行政・文化の中心として繁栄した処でした。国乳別皇産は弓にたけており、神功皇后の三韓国遠征の折、弓大将として参加した伝説があります。そこから弓頭大明神と称され、奉られたと云われています。地元では弓頭大明神(国乳別皇子)のことをゆがしらさんと呼んでしたしまれています。神社は塗り替えられ鮮やかな姿になっています。同じ境内に天満宮の神社もあります。
| 名前 |
弓頭神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
古代豪族・水沼(水間)の君ゆかりの神社だそうです。水上交通や交易に長けた一族で、九州を代表するほどの力をもっていた豪族だそうです。『日本書紀』にもその名が登場します。筑後川流域から有明海に勢力を築き、朝鮮半島との交易などで活躍していたとのこと。大善寺町にある『御塚・権現塚古墳』は水沼の君一族の墳墓との見方が有力です。三潴(みずま)の名は、水沼(みずぬま)が転訛したとの説があります。