紅葉に包まれた大涼殿。
大凉寺の特徴
秋月城址近くに位置する大凉寺は、歴史を感じる地です。
浄土宗の寺院で、黒田長政の妻大涼殿の菩提寺です。
美しい紅葉が楽しめる墓地周辺で心が癒されます。
浄土宗 大凉寺大凉院殿の墓地周辺の紅葉も綺麗です。
お住職には、大変お世話になりました。
天正3年(1575年)当時の武士 牧四郎左ヱ門浄仙翁の開基にして秋月山高照院浄仙寺と称して今の祇園社の辺にあったものを寛永9年(1632)現在の地に移したと伝えられている秋月藩初代藩主長興が寛永12年(1635)、大凉院殿(母・長政公夫人)の死去に際し院殿の御廟を立て 御位牌を安置し秋月山浄土院大凉寺と改称されたという。境内奥の小高い場所・・塀瓦付きの石塀に囲まれた場所に大凉院殿(母・長政公夫人)のお墓は所在している。
令和元年9月13日参拝御朱印あり本尊:阿弥陀如来宗派:浄土宗 天正三年(1575年)の開基、寛永九年(1632年)現在地に移転。寛永十二年黒田長政夫人(大涼院殿)の墓所となった際に現在の名前になったとされる。
秋月山浄土院 大凉寺は、秋月城址の北西1.3kmほどの県道66号線沿いの高台に伽藍を構えている浄土宗の寺院です。天正3年(1575年)、牧四郎左ヱ門浄仙翁が開基しました。秋月山高照院浄仙寺と称して今の祇園社の辺にあったものを寛永9年(1632年)、誠譽上人が開山して現在の地に移したと伝えられています。初代藩主、黒田長興公入国後、寛永12年(1635年)、 大凉院殿(母・長政公夫人)死去に際し院殿の御廟を立て、御位牌を安置し秋月山浄土院大凉寺と改称されました。栄姫(えいひめ:出家後に大凉院)は、天正13年(1585年)、信濃国高遠城主、保科正直の娘として誕生しました。母は久松俊勝の娘・多劫姫で、多劫姫の母は徳川家康の実母・於大の方であるため、家康には姪にあたります。慶長5年(1600年)、伯父・家康の養女として、先妻の糸姫と離縁した黒田長政に嫁ぎました。関ヶ原の戦いの寸前、西軍による妻女人質計画があった際には、栗山利安らの導きで、大坂天満の黒田屋敷から脱して長政の領国である豊前国中津まで船で逃れています。長政との間には嫡子、忠之(福岡藩2代藩主)・長興(秋月藩藩祖)・高政(東蓮寺藩藩祖)・徳姫(榊原忠次正室)・亀子姫(池田輝興正室)の3男2女を儲けました。福岡藩がお家騒動(黒田騒動)を乗り切って後の寛永12年(1635年)、病身ながら次代藩主である孫・吉兵衛(光之)の江戸幕府3代将軍・徳川家光への謁見に江戸城へ随行しました。その後間もなく黒田藩江戸桜田屋敷にて死去しました。当初は西久保(現・東京都港区虎ノ門3丁目)の天徳寺に葬られましたが、現在は黒田家菩提寺である祥雲寺(東京都渋谷区)と少林寺(福岡市中央区)に墓所があります。また、秋月藩主になった次男の長興は、母の菩提を弔うために、秋月山浄仙院大涼寺(朝倉市秋月)を建立しています。境内・裏手の墓地のカエデの紅葉は本当に見事でした。
紅葉が本当に綺麗です。秋月城跡からそんなに離れていませんが、人気が無くお参りがてらゆっくりと紅葉が楽しめます。山門がとても立派でそこから続く石段と脇に並ぶ紅葉の木がとても調和がとれており、とても絵になります。
黒田長政の妻大涼殿の菩提寺。
黒田長政の妻大涼殿の菩提寺。
| 名前 |
大凉寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0946-25-0900 |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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戦国大名黒田長政公の奥方で秋月藩の初代藩主である黒田長興の母君の菩提寺とのことです。山門からの石段を彩る落ち葉が美しかったです。