弘法大師が奮い立った地。
辞本涯の碑の特徴
柏崎公園内に位置し、爽やかな風を楽しむ名勝地です。
僧空海が唐に渡る際の苦難を顕彰した歴史的碑です。
遣唐使のゆかりを感じることができる場所として人気です。
天気も良く、とてもきれいな静かな場所でした。遣唐使が最後に立ち寄った場所だと想いを馳せながら海を見つめると、複雑な気持ちになります。
弘法大師が入唐前に最後に立ち寄った場所。日本を去るにあたっての一抹の寂しさが感ぜられなくもない。
遣唐使として旅立った場所。命がけの航海だったようです。歴史を知る事が出来ました。以下引用させて頂きました。福江島の北西端から東シナ海へと突き出た三井楽半島は、古くから大陸への「海の通り道」として利用され、東シナ海を横断し唐を目指す遣唐使船の最終寄港地でした。その様子は奈良時代初期に編纂された『肥前国風土記』にも記されており、「美禰良久之埼(みねらくのさき)」として登場しています。近くには、遣唐使船に飲料用水を供給した井戸と伝えられている「ふぜん河」などのゆかりの場所や、遣唐使や空海とゆかりが深いことを伝える施設やモニュメントが数多く点在します。そのひとつが、東シナ海の大海原を一望できる柏崎公園内に建つ「辞本涯(じほんがい)」の石碑です。また、三井楽は「亡き人に逢えるみみらくのしま」として『万葉集』や『蜻蛉日記』などの古典文学にもたびたび登場し、平安時代には、異国との境界にある島、西方浄土の地を示す歌枕として浸透していました。三井楽町の高崎鼻~柏崎~長崎鼻までの海岸域および海域は、国の名勝に指定され、2015年には日本遺産にも認定されました。
柏崎公園内にある。有志によって建てられたらしく、トイレが併設している以外の見どころはない。ここに来たということは、オレンジロードに行くのだろうが、オレンジロードに入るとしばらくトイレがないので、ここで済ませておくと良い。絶景度は高くなく、普通。夕日を見に来るのはありだと思う。
爽やかな風が吹く風光明媚な名勝地。この地から旅立った弘法大師空海に思いを馳せる。
遣唐使にゆかりのある五島市三井楽町と、第16次遣唐使船(804年)で唐に渡った僧空海と深くかかわりのあることを広く紹介し、その偉徳を顕彰するために建立されました。姫島を背に「辞本涯」(日本のさいはてを去るの意)と刻まれています。この草原に立ち、東シナ海の大海原を眺めるとき、「日本のさいはての地よ、さようなら」の感慨にひたり、命をかけて唐に渡っていった人達の勇気と偉業を偲び、ただただ頭の下がる思いがします。以上©五島市観光物産課さんより詳しい説明を抜粋させていただきました。何を想って当時の方々が海に漕ぎ出し何を求めていったのか、誰も居ない中 ただ風と波の音だけが聞こえるこの地で感慨深い時間を過ごしました。
長崎~五島列島~佐世保と自転車で回り、これまであまり知らなかったキリスト教に触れる機会がありました。潜伏キリシタンが有名な神の島ですが、空海がいよいよ唐に渡る決意の地、辞本涯の碑や帰国後最初に講義をした大宝寺など実は仏教の島としても興味深かったです。
辞本涯の碑は、遣唐使がこの地から中国に向かったことが由来しています。空海が遣唐使として旅立ったのもこちらだとか。景色もよく、歴史に触れられて気持ちが上がりました。
僧空海が、唐に渡る航海の途中、「死を冒す覚悟で、海に入り既に本涯を辞して・・」と残した苦難を記した語録から「辞本涯」の碑が立つ。この地美弥良久の崎は、日本の最後の見納めの地であり感慨深い地であった。
名前 |
辞本涯の碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0959-84-3111 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.4 |
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遣唐使や弘法大師が唐を目指し最後とする寄港地。遥か唐を目指し、延暦23年804年に荒れ狂う海を越えて行くにはそれ相当の覚悟が必要とされたのである!実に34日もかかり入唐している。単に冒険心や功名心では無いことが碑にはそれが記銘されている.........。