時を超える大内氏遺跡の魅力。
大内氏遺跡 凌雲寺跡の特徴
大内氏遺跡は、戦国大名大内義興の菩提寺として創建された歴史的な場所です。
600年前の石垣が残っており、当時の雰囲気を感じることができます。
無料の見学者用駐車場があり、細い道を経てアクセス可能です。
大内氏遺跡凌雲寺跡(おおうちしいせきりょううんじあと)は、山口県山口市にある、周防国の戦国大名大内氏の当主大内義興の菩提寺であった凌雲寺の遺跡である。国の史跡。吉敷川上流の山間部の南に伸びる舌状台地に建てられていた寺院跡。台地の南端を東西に横切る長い石垣が残っている。大内氏滅亡後から平成の世に至るまで、実地調査が行われてこなかったため、寺院の詳細の一切が不明という「幻の寺」でもあった。有事の際には城郭としても機能する城郭寺院であったと推定されている。日本の石垣は土手に石を積んで造られることが多いのに対して、凌雲寺の石垣は、大きな石を両面に積み上げて隙間を小石で埋める構造になっており、朝鮮半島の城や、沖縄のグスクの石垣に類似している。このことから、大内氏が朝鮮半島等と盛んに交流していた影響がうかがえる。
車で行くと途中狭い場所もありますが、駐車場は広め。見渡す限り山里の風景で、昔日もこんな景色だったのかな、と思わせてくれます。
ちょっと看板がわかりにくかったですが、駐車場もちゃんとあり良かったです。
当時の凌雲寺を復元?再現したもの(CGか何か)が見てみたい!そんな思いになります。
山口でまだ歴史的なこのようなところがありす。
歴史を感じる石垣がいい。
惣門の石垣は、あまりに大きくて写真に収まりません。 大内氏の史跡は、ほとんどが遺跡になってしまって残念です。大内氏館、築山館しかり法泉寺しかり仁平寺しかり。大内氏30代当主の義興公のお墓があります。 明応6年(1497年)九州攻めから山口に帰国した義興公が周防一之宮(玉祖神社)、二之宮(出雲神社)、三之宮(仁壁神社)、四之宮(赤田神社)、五之宮(朝田神社)を一日で参詣し、戦勝を神々に感謝したのは有名な話です。 高嶺太神宮(現山口大神宮)を伊勢から神霊を勧請し創建したのも義興公です。
資料がほとんど残ってなく想像を掻き立てる史跡です。
大内義興の墓などがあって、そこは焼けたという割に、きれいな地層をしている感じ。調べていくと色々面白そうな感じがする。
名前 |
大内氏遺跡 凌雲寺跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
083-934-2810 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
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国指定 史跡大内氏遺跡·凌雲寺跡昭和34年11月27日指定凌雲寺は、大内氏30代義興を開基、了庵桂悟を開山として永正4年頃(1507)この地に創建されたと伝えられています。廃寺の年月は不明ですが、おそらく大内氏滅亡の後、いつの時代にか廃されたものと思われます。寺は舌状をなして南に延びる台地上に営まれたもので、注目すべき は台地の南 端を東西に横切る長い石垣です。これはこの寺の惣門の遺構と伝えられ、長さ約60メートル、高さ3メートル余りで、幅は2メートル余りあります。巨岩をもって築かれた豪壮な石垣であり、寺の位置、地形等から考え、有事に備えての城塞の役を兼ねたものかと思われます。指定区域内には凌雲寺開山塔、大内義興及びその婦人の墓と称する石塔3基が残っています。(現地の説明板より)