石垣に刻まれた歴史、凌雲寺跡。
大内氏遺跡 凌雲寺跡の特徴
大内氏遺跡は、戦国大名大内義興の菩提寺として創建された歴史的な場所です。
600年前の石垣が残っており、当時の雰囲気を感じることができます。
無料の見学者用駐車場があり、細い道を経てアクセス可能です。
棚田の中にあって山口市街よりかなり山の中にどうして造ったのか不思議。山城の要素もあるようですが確かに謎のお寺です。現在、発掘調査が継続中で謎が解ける日が来ればいいですね。とても長閑なところで今からは散策にいい季節になります。
石積みしか残っていませんがここに確かに大内氏の築いたお寺があったのだなと思い雨の中訪問しました。大内義興さんの墓もあり、手を合わせておきました。
国指定 史跡大内氏遺跡·凌雲寺跡昭和34年11月27日指定凌雲寺は、大内氏30代義興を開基、了庵桂悟を開山として永正4年頃(1507)この地に創建されたと伝えられています。廃寺の年月は不明ですが、おそらく大内氏滅亡の後、いつの時代にか廃されたものと思われます。寺は舌状をなして南に延びる台地上に営まれたもので、注目すべき は台地の南 端を東西に横切る長い石垣です。これはこの寺の惣門の遺構と伝えられ、長さ約60メートル、高さ3メートル余りで、幅は2メートル余りあります。巨岩をもって築かれた豪壮な石垣であり、寺の位置、地形等から考え、有事に備えての城塞の役を兼ねたものかと思われます。指定区域内には凌雲寺開山塔、大内義興及びその婦人の墓と称する石塔3基が残っています。(現地の説明板より)
大内氏遺跡凌雲寺跡(おおうちしいせきりょううんじあと)は、山口県山口市にある、周防国の戦国大名大内氏の当主大内義興の菩提寺であった凌雲寺の遺跡である。国の史跡。吉敷川上流の山間部の南に伸びる舌状台地に建てられていた寺院跡。台地の南端を東西に横切る長い石垣が残っている。大内氏滅亡後から平成の世に至るまで、実地調査が行われてこなかったため、寺院の詳細の一切が不明という「幻の寺」でもあった。有事の際には城郭としても機能する城郭寺院であったと推定されている。日本の石垣は土手に石を積んで造られることが多いのに対して、凌雲寺の石垣は、大きな石を両面に積み上げて隙間を小石で埋める構造になっており、朝鮮半島の城や、沖縄のグスクの石垣に類似している。このことから、大内氏が朝鮮半島等と盛んに交流していた影響がうかがえる。
車で行くと途中狭い場所もありますが、駐車場は広め。見渡す限り山里の風景で、昔日もこんな景色だったのかな、と思わせてくれます。
ちょっと看板がわかりにくかったですが、駐車場もちゃんとあり良かったです。
当時の凌雲寺を復元?再現したもの(CGか何か)が見てみたい!そんな思いになります。
山口でまだ歴史的なこのようなところがありす。
歴史を感じる石垣がいい。
| 名前 |
大内氏遺跡 凌雲寺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://www.city.yamaguchi.lg.jp/rs/rekibunshigen/r1062.html |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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草が覆い茂っているためよくわからず。あまり期待してなかったからまあ良し。