一言坂古戦場跡へようこそ!
一言坂の戦い 案内板の特徴
久野城跡から一言坂古戦場跡への歴史散策が楽しめる場所です。
木原畷や大日堂などの名所を巡ることができます。
カーブの脇に位置する案内板が、訪問者を導いてくれます。
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木原畷、大日堂、一言坂と周ってきました。
入り口には石碑があり、カーブの脇に案内板がある。
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名前 |
一言坂の戦い 案内板 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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久野城跡から一言坂古戦場跡へ来た。駐車場はない。付近の路上で少し広いところにしばし停めた。Googleマップで事前に道路の広さなど調べられるので助かっている。尚、ここから50mほど南に「一言坂の戦跡」の碑がある。元亀3(1572)年、武田信玄が久野城の包囲を解き西へ向かい、徳川家康への奇襲を目論んだ。その時、その武田軍に勇敢に対峙し、家康を救ったとされるのが家康重臣の本多平八郎忠勝であり、その戦いの場所がこの古戦場である。平八郎は「とんぼ切り」と云われる大槍で奮戦し、家康が池田の渡しから退却する時間を稼いだと云われている。戦いの翌朝、見附宿に信玄の近習小松右近が本多平八の武勇を讃え、「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本田平八」と書いた高札を立てたと云われている。《2023.2.2訪問》