多胡家表門跡で歴史を感じる。
旧津和野藩家老多胡家表門・番所土塀の特徴
威儀を正した重厚な門が訪れる人を魅了する、風格を感じられる場所です。
津和野藩の筆頭家老職を務めた多胡家表門は、文化財だらけの街中に佇んでいます。
素晴らしい門構です。
門だけですが風格あります。
大岡?越前と関係あるのか??
往時を偲ばず門が重厚。
島根県指定文化財(建造物)「多胡家表門跡」多胡家は、津和野藩の筆頭家老職を藩主亀井家十一代にわたり務めた家系。
昔のまんまでしたね、ガキの頃と変わらず。
この古い門の正面に立つとする。門の右側に門と同じ瓦をふいてある建物があるのがわかるだろう。見ての通りかなり古い。門番の控室みたいなものだったのだろうか。わからない。わからないが戦争が終わった直後、この建物を借りて、小学校の女先生が三人の自分の子と暮らしていた。小学一年生位を頭に、三人とも男の子。夫はいない。戦時中特高だった男は、戦後身を隠すためか、他の女の元へ去るためか、女先生と離婚し、この多胡家表門外から向かって右袖の建物を、出ていった。その時の風景。女先生に別れの言葉を告げた男は小屋を出、奥にいた家主に挨拶をしに行ってから、この門を外へ出ていったらしい。家族が住んでいた建物には格子があった。女先生はその格子を両手でつかみ、男が来るのを待ち、挨拶を終え男が門に差し掛かったとき、格子の間から右手を出し、去りゆく男に手を振った。手を振り、涙とともに見送ったという。女の傍らには、産まれたばかりの三男が眠っていた。女先生は晩年、次男の嫁にこの時のことを身ぶり手ぶりとともに何度も話したが、出ていった男の悪口は結局一言も言わなかったという。「あれは、本当にいい男だった」男の事を息子の嫁に話す女先生の顔は、そのときはいつも、若い娘のように輝いていたという。次男の嫁、つまり私の母は、「このときのお義母さんの気持ちを思うと」と、涙と、さらには何故か明るさをもって私に話した。私はこの警察官だった男の墓に「じいさん、俺は元気で幸福に暮らしとります」と、一言報告だけしたいと思っているのだが、東京の何処かにあるらしいその墓をさがす術も暇も、今はない。富枝先生も嶺範さんもとっくに死んでしまった。しかしそこ津和野に、門は、今も残っている。スマホが見せてくれた。Google社が手の中で見せてくれた。この門のクチコミにふさわしいかどうかかなり、かなり疑問で申し訳なく思っているが、とにかく俺は、いつかオートバイで行ってみようと思っている。
風格のある門です、歴史を感じます。
日本遺産「津和野今昔~百景図を歩く」の第23図「殿町」に描かれた通り!
名前 |
旧津和野藩家老多胡家表門・番所土塀 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.6 |
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威儀を正した門です。流石は、家老職の屋敷です。