周南市の古社、二俣神社で心癒やす。
二俣神社の特徴
周南市にある歴史ある式内社、二俣神社の魅力です。
立派な社殿が迎えてくれる、荘厳な雰囲気があります。
古社ならではの神聖な空気に包まれています。
立派な神社です。
式内社の二俣神社。山の上にあった宮を里に移したようです。錦川沿いに二俣神社とされる神社が三ヶ所あります。この流域が早くから開けていたのでしょう。
周南市の古社。
| 名前 |
二俣神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-yamaguti/jsearch3yamaguti.php?jinjya=6847 |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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国道315号線を錦川沿いに遡り「二俣橋」を目指すと、橋の袂、大向小学校(休校)先に当社の看板があった。この入口から乗り入れ、校舎横を進んだ先に鳥居が立ち、その手前右手に駐車場。大物主神・八千矛神・稻田姫神を祀る。式内社「二俣神社」論社の一つ、他に長穂の周方神社、鹿野の二所山田神社を論社とする。大物主神・八千矛神のみ三社に共通。拠って二俣神とは、此の二柱であろう。三社のうち最も二俣神社らしく、鳥居に「式内二俣神社」と掲げるも、地図に無い。当社横に出雲大社分教会も立つが、これも地図に無し。地図に無ければカーナビにも無し、Googleマップにあるのみ。地図屋よろしく当社を記すべし。鳥居の扁額は「式内社である二俣神社」という主張であって、社名は「二俣神社」である。向拝に掲げた扁額は、そう書いてある。その下に彫刻された神紋は長門三ツ星、これは毛利氏の紋。観世音菩薩座像を保存、これは見えなかった。当社の本地仏を鏡板に取り付け、内陣に掛けたという。神仏判然令を生き延びた本地仏は貴重、重要文化財。別当寺は見当たらず。猿田彦を祀るので、おそらく天台宗系。「猿田彦大神」と文字のみ彫る形式は、豊前のものに同じで、あるいは英彦山の山伏が来ていたか。応仁の乱以前なら、長門も豊前も大内氏が治めたので、それも有り得る。しかし、この猿田彦は、そこまで古くはない。隣に出雲大社分教会。教会の名に面食らうが、普通に神社。大物主神・八千矛神は、記紀では大國主の別名とされる。日本書紀/神代紀 : 一書に曰く。大國主神、亦たの名は大物主神、亦た號けて國作大己貴命、亦たは曰く葦原醜男、亦たは曰く八千戈神、亦たは曰く大國玉神、亦たは曰く顯國玉神。古事記:此の神(八嶋士奴美神)、刺國大神のむすめ、名は刺國若比賣を娶りて生める子、大國主神。亦たの名は大穴牟遲神と謂い、亦たの名は葦原色許男神と謂い、亦たの名は八千矛神と謂い、亦たの名は宇都志國玉神と謂う、併せて五の名有り。このうち大物主は、三輪山の主として再登場する。八千矛神は古事記に、高志國の沼河比賣と婚姻した時の歌合がある。元は異なる神格を、政治的事情により統合したものであろう。 この二柱を併せて二俣神と称する以上、切っても切れない関係にあったのだろうか。両面宿儺のような存在を想定していたのか。二俣神の伝承を聞きたいが、人が居なかった。