長州ファイブの歴史を体感。
伊藤井上両公上陸遺蹟碑の特徴
元治元年に伊藤博文と井上馨が留学を中断し、ここに上陸した歴史的な場所です。
英米仏蘭四ヶ国連合艦隊の攻撃を受け、帰国決意した舞台となっています。
長州ファイブの二人が歴史を動かした、意義深い史跡の一つです。
幕末の1つの歴史が大切に残されている。少し歩きますが海沿いに海水浴場があり、大きな無料駐車場があります。
馬関戦争の直前、戦争を回避すべく英国から戻った伊藤、井上両名の上陸地。今は空き地になっています。駐車場はありません。目の前に少しだけ路駐しました。
元治元年(1864年)6月、イギリス留学中の伊藤博文と井上馨は、英米仏蘭四ヶ国連合艦隊が下関を攻撃するという新聞記事をロンドンで見て、戦争をやめさせるべく留学を中断して急きょ帰国しました。最も安全な場所として飛船問屋 入江磯七宅に密かに上陸しました。ここで最新の情報を入手し、身なりを整えて藩主毛利敬親のいる山口へと向かいました。入江磯七が万全の支援をしたそうです。
飛船問屋・入江磯七宅に上陸。ここから藩主のいる山口へ向かった…とされる。
長州ファイブの二人が急遽イギリスから帰国し、長州のこの地に上陸した。
| 名前 |
伊藤井上両公上陸遺蹟碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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伊藤博文と井上馨が留学先のイギリスから馬関戦争をやめさせるために急遽帰国して身を寄せた場所。幕末の富海は山口〜大阪の飛脚船で栄えていた宿場町だったそうです。