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名前 |
結城兵部小輔之墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.8 |
鎌倉時代から安土桃山時代まで下総から発し、鎌倉の政権の中央で活躍した名家 の墓です。石碑には下記のように記載されています。「結城兵部少輔は阿波の国の産なり。天文年中時の将軍足利義輝の勘気をこうむり当郡荒平城主民部少輔小田部鎮元をたより当郡に落ち来たる。小田部鎮元の情により金武山原に居住し地名を乙石と名付く。落去の時、生国より阿波島大明神を勧請し山神として祭り大日石仏をきざみ其の本地とす。又禅宗西山寺を建立して観世音菩薩を安置し奉り結城氏の菩提寺とす。今の観音堂の前身なり。兵部少輔天正中に死す。よりて子孫家臣等此の墓を建て今日に至るものにて乙石結城氏の祖として子孫の人々此の墓を守る。昭和五十三年墓石の風化甚だしき為子孫の人々相図りて、上屋及びこの碑を建立して後世に伝う。」