夜のライトアップが美しい宗林寺。
宗林寺の特徴
宗林寺の襖絵は住職の革新性が感じられます。
夜のライトアップが特に美しく幻想的です。
戦国時代の大平家との関わりが興味深いです。
静かな境内に、アクセントがあり散策するのも楽しいですね。
前通った写真です。新たな投稿。つまり、中訪れてません、もう長年。賽銭場かも、だから、もう、知りません。いつぞや、機会あれば、訪れて投稿内容詳しいします。ご機嫌よう。勝間より。
山院寺号 無量寿山利益院宗林寺宗派 真言宗大覚寺派準別格本山本尊 阿弥陀如来脇仏 正観音菩薩、勢至菩薩護摩堂には不動明王、毘沙門天、地蔵菩薩、五智如来等を安置宝物 大般若波羅蜜多経(大般若経とも云い六百巻の巻物)、正八幡大般若経六百巻宗林寺の由来によると奈良朝元明帝の和銅年間行基菩薩の開基にして本尊阿弥陀如来観音勢至両脇士を奉す。当所に八幡宮を勧請せらるるや別当寺として祭祀を司り鎌倉幕府北条家の尊信を受け、蒙古襲来元寇の役等数度に及んで敵国降伏の祈願の命を受けたり、当所荒神淵に住む大蛇を封じ庶民の災厄を除いたりした。後には宇多天皇の御字健治ニ年九月六日執筆沙門法覚記とあり今も当山に保存しています。天正年間、土佐長曽我部元親軍の兵火にかかり灰塵に帰し、詳細な記録を失ってしまう。ただ、過去帳及び古老の聞き伝えによる。中興良範上人より綿々十九代、凡そ三百年間信徒の信仰厚く講堂改築境内整備も着々て進み三豊有数の寺院として隆盛に向かっています。宗林寺は三回の火災に遭い一回目は天正の兵火、二回目は寛延三年(1750)の百姓一揆、当時は今の境内はもちろん境内下一帯に堂宇が建ち並び、僧侶も多く広大な寺院であったと言い伝えられます。三回目は明治六年(1873)六月の一揆の際は大部分を焼き払われ以後、寺の規模が縮小され現在に至ります。庫裡、護摩堂、本堂を連絡する回廊は昭和三十八年に寄進され、本殿裏には納骨所(墓地)が整備されている。戦後は周囲に民家が建ち並び道路も整備され、すっかり様子が変わったが昔を誇る老松と共に山門脇の鐘楼から流る鐘の音が、往時を偲ばせます。文書は旧豊浜町誌を抜粋し書き込みました。
駐車場ありますがどこから入ればよいか判らないです。
宗林寺を訪れて、住職の感覚が襖絵等にみられるように革新的であった。このような新しい感覚がこれまでの歴史を作ってきたのだと感じた。私は物事に対する新しい考えを持つべきだと考えさせられた出会いであった。
夜のライトアップが綺麗。
寺の雰囲気が良い。
恩師のお寺です✨
住職が素晴らしい。
| 名前 |
宗林寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0875-52-2432 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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