300段の石階段、歴史に触れる神社。
岡豊別宮八幡宮の特徴
南国市岡豊の別宮八幡宮は、長宗我部元親の戦勝祈願の地です。
300段超の石段を登り詰めると、神殿が待っています。
神社の風情があり、参道の石階段は登るのが大変です。
バイクで八幡宮様の裏手にいきました。大変由緒ある神社でした。
長宗我部元親が出陣の際に戦勝を祈願したと伝えられているそうです。県道384号岡豊城の入り口交差点東側に鳥居があり、長い石段の参道が続きます。(県道沿いに適当な駐車場はありません)健脚の方向きです。車で向かう方はヤマト運輸高知ベース店敷地の入り口脇から無線中継所まで車道があります。中継所からは山道を徒歩で神社の裏手に出ます。さほど遠くありません。最初訪れたときには山の中に立派な社殿が現れたので驚きました。
軽い気持ちで参拝しに行ったら、鳥居から想像もしない参道だった。最初は心が折れそうだったけれど、この長い石段を積み上げてくれた先人たちを思うと、頭が下がる。立派なお社がありけっこう広い。神社に到着したら爽やかな達成感がる。無心で石段を登ることで、心身がスッキリ出来た。
別宮八幡宮と鳥居には表記あります。由緒などの案内板は見当たりませんでした。東側と南側に参道があります。たぶん表参道は南側と思われます。南側は距離は短いですが、急階段の連続で、しかも階段は苔と大きさの違う石段で歩きづらいです。雨だと危ないです。東側は階段もありますが、基本は坂道です。その分距離があります、道も苔の生えた不揃いの石畳です。どちらも心して行かないと心折れます。車でも行けるようですが、歩きで行くと社を見たときに達成感があります。
300段超の石段を登り詰めたら神殿が。なかなかバードな参拝でした!
私の先祖の神社です、長曽我部元親の崇拝します神社です、45代の宮司歴史があります、でも私の五代前に宮司していました、谷鹿太は谷干城の弟にあたると聞きましたが、谷鹿太の名前は高知の家系図には、ありません、子供のころに三輪神社に養子にやられて、三輪神社で大きくなり、その後、熱田神宮に行きまして、大正天皇の即位式を行いまして、退職後に阿波の国に帰りました、高知ではありません、阿波の国の巫女と向こうで結婚したから、阿波に帰ってきたといいます、墓には屋根がありまして小さな社殿ですが、戒名には神の文字が刻まれています、私が子供のころは、この支持者が2000人くらいはいたとききました、鹿太大明神として、お祀りされています、現在はお世話人がいなくても、お祀りものはたえません、私は先祖のことを詳しく知りたいので、誰か情報を御願いします。追記、私は小学二年生の頃に青銅の30センチ程度の先が尖りまして両方に刃の付いています青銅剣をみました、伊勢神宮に返納されたとききます、大正のころは神社庁も混乱時期でしたから、我が先祖が持ち帰っていたようです、私の家にありました古文書もすべて持ち帰っております、もしもこれが草なぎの剣なら?一般的には長い刀と思いますが以外と短い短剣です、私の五代前の谷鹿太の墓の後ろには、その当時の伊勢神宮の文字のはいりました、瓦の大きいのが送られて来ています。
神社の風情はなかなかです、石階段がとても長く、気軽に登っていけません。車で裏から入るのをお勧めします。維持管理は普通ってところです。静かでひっとりとした神社です。景観:★★★交通便:★★★マニア度:★★★お勧め度:★★★★個性度:★★★総合:★★★※観光対象にならず。
神社の風情はなかなかです、石階段がとても長く、気軽に登っていけません。車で裏から入るのをお勧めします。維持管理は普通ってところです。静かでひっとりとした神社です。景観:★★★交通便:★★★マニア度:★★★お勧め度:★★★★個性度:★★★総合:★★★※観光対象にならず。
名前 |
岡豊別宮八幡宮 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.4 |
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南国市岡豊にある別宮(べっく)八幡宮。長宗我部元親が戦勝祈願に訪れたという神社です。岡豊城近くの南ルートは急峻な階段が続き最短ルートで参拝できます。東側ルートは笠ノ川近くから尾根づたいに登り、南ルートに比べ長いです。また、東ルートは南国市北東方向の眺望が素晴らしいです。この石段を築いた先人達に頭が下がります。