出吐川の歴史を感じる。
出吐川跡石碑の特徴
昭和40年代の木製船の残骸が記憶に残る場所です。
出吐憩いのみちの石碑が示す歴史を感じられます。
平成初期まで流れていた出吐川の跡地を訪れることができます。
平成初期まで当地を流れていた出吐川(でとがわ)の跡を示す石碑で、表面には「出吐憩いのみち」とあり、裏面に出吐川の歴史が記されています。平成10年の道路拡幅により出吐川の大部分は埋め立てられたようですが、川全体が消滅したわけではなく、現在も市道本町和歌浦線(塩屋街道)以東の約140mの区間(市道東側〜塩屋ポンプ場西側樋門)が和歌山市の普通河川として現存します。現在の出吐川の上流端は上記の通り市道東側にありますが、国土地理院の空中写真によれば、道路拡幅まではこの石碑の約100m北西にある金刀比羅神社石灯籠の位置にあったと思われる一方、昭和2年発刊の『和歌山県海草郡雑賀村誌』の地図によれば、現在の県道和歌山橋本線(4車線道路)と交差する位置にあったようにも見受けられます。かつて舟運を支えた川が道路(東側車線と歩道)に姿を変え、現在も住民の生活を支えているのです。
当地に「出吐川」が存在したことを後世に伝える。2017 Jul 23
名前 |
出吐川跡石碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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昭和40年代前半(1965-70年)ごろ、この川に木製の船の残骸があったように思います。塩屋は一面畑で、ところどころにため池がありました。