平清盛の歴史探訪、梅小路公園。
西八条第跡の特徴
平安時代の仁安元年に造営された歴史的な邸宅跡です。
梅小路公園からアクセスしやすい、見所満載の場所です。
いのちの森に近く、自然と歴史を楽しめるスポットです。
京都市にある京都駅に広がっていた平清盛の邸宅があった場所で、六波羅第が手狭になり、こちらにも作ったと言われています。平清盛の邸宅である西八条第は、八条亭とも呼ばれ、平安京左京一坊の八条大路(現在の八条通)以北、大宮大路(現在の大宮通)以西に位置します。6町以上を占めていましたが、広大な邸が存在していたのではなく、町単位で殿舎が独立していたようです。50ほど邸があったようです。平家物語』によると、清盛が蓬(よもぎ)を愛し庭に植えていたことから「蓬壺」ともいわれていました。出家後の清盛は、摂津福原(神戸市兵庫区)にいることが多かったので、清盛の妻・時子が女主としてここを守りました。清盛が没した2日後に放火され、再建した建物も都落ちのとき、自ら焼き払ったと言われてます。現在地でいうと西八条第は、 梅小路公園(京都市下京区)とJR東海道線と山陰線の線路敷地にあたり、往時をしのぶものは何もありませんが、梅小路公園の中には上の写真のような説明板が立てられています。説明板によりますと西八条第の調査は、梅小路公園整備前の平成4・5年に行われ、柱跡、溝跡のほか、平安時代後期の土器とともに焼土や、炭化遺物も出土し、火災があったことを裏付けているそうです。公園敷地には京都市営地下鉄(東西線)などの工事で生じた残土を盛り(厚さ約1.5縲怩Um)、遺構を壊さないよう造成が行われました。アクセスは、JR山陰線、梅小路京都西駅🚉下車し、河原遊びの場の入り口で、平安の森の少し手前に、その説明版があります。
平安時代の仁安元年(1166年)頃に、平清盛が造営した邸宅跡です。公園広場の西隅に詳細な案内板が建っていました。
梅小路公園の市電広場から公衆トイレを過ぎていのちの森方面に行った所に「西八条第跡」の説明書きがあります。平清盛の邸宅である西八条第は、八条亭とも呼ばれ、平安京左京一坊の八条大路(現在の八条通)以北、大宮大路(現在の大宮通)以西に位置します。6町以上を占めていましたが、広大な邸が存在していたのではなく、町単位で殿舎が独立していたようです。現在地でいうと西八条第は、梅小路公園とJR東海道線と山陰線の線路敷地にあたり、往時をしのぶものは何もありません。
名前 |
西八条第跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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梅小路公園、水族館口西側にある表示盤。