壺井繁治の詩碑が静かに佇む、 kleinen島の風...
壺井繁治 詩碑の特徴
小豆島町堀越に位置する詩人壺井繁治の詩碑です。
二十四の瞳の著者壺井栄の夫にゆかりがあります。
分校の解体跡地に築かれた詩碑が特徴です。
『二十四の瞳』の著者 壺井栄の夫で詩人の壺井繁治の詩碑が小豆島町堀越にある。繁治は明治30年 (1897) 、堀越に生まれ、島の乙種実業補習学校を経て早稲田大学に学び、詩人の道を歩んだ。小豆島から、作家の壺井栄、黒島伝治、詩人の壺井繁治の三人の文学者が生まれた。壺井栄は、代表作『二十四の瞳』が 1954年に 木下惠介監督・高峰秀子主演で映画化され “小豆島ブーム ”を呼んだ。現在までに映像化されたのは、映画2回、テレビドラマ7回、テレビアニメ1回という国民的作品である。壺井栄の夫 繁治は、1925年に栄と結婚し、戦中は激しい弾圧の嵐の中で詩を書きつづけた。昭和17年 第一詩集『壺井繁治詩集』を刊行。戦後は「新日本文学会」創立に参加、『詩人会議』を創刊。詩集『頭の中の兵士』などがある。詩碑は小豆島町堀越の苗羽小学校堀越分教場の跡地にある。すぐ近くに壺井繁治生家が残っており、この堀越分教場を舞台にした小説を書こうと決めたのが『二十四の瞳』という作品になったという。「石は 億万年を黙って 暮らしつづけた その間に 空は晴れたり 曇ったりした」詩碑は二十四の瞳映画村に行く途中にある。海岸沿いの道から細い道を少し上ったところでわかりにくいが、地元の方が教えてくれた。海岸沿いの道にある看板を見落とさないように。近くには人気の宿「海音真理」がある。
分校を解体した跡地の池があった処に碑がたてられていると親から聞きました。
名前 |
壺井繁治 詩碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.5 |
周辺のオススメ

繁治、アナキ・プレタの詩人 何回も投獄された だが転向 敗戦後は民主 武井昭夫や吉本隆明ら若手から転向を責められ痛烈に批判された晩年その罪滅ぼしか知らないが 伝治や多喜二の紹介や解説をした個人的には好かない一人。