斯波武衛義廉の邸宅跡で歴史散策。
斯波武衛邸宅跡の特徴
斯波武衛義廉の邸宅跡として歴史を感じる場所です。
趣ある建物が残る静岡県菊川市の名所です。
歴史を学ぶための訪問には最適なスポットです。
横地氏が遠江守護の斯波武衛家を迎え入れた際、武衛家が邸宅を営んだ地の遺跡と伝えられています。斯波氏は足利氏の一門で、嫡流の武衛家は室町幕府の管領につく三管領の一つでした。斯波武衛家は、越前、尾張それに遠江の守護に幕府から任じられていました。その当主たる人物が、都から遠く離れた遠江へ下向したのでしょうか。また、その人物は誰なのでしょうか。現地の看板は、その人物を「斯波義廉」としています。斯波義廉は、応仁の乱に参戦した主要な武将の一人で西幕府(西軍)に属し、東幕府(東軍)に属した斯波義敏と斯波氏当主の座を長年争っていました。斯波義廉は主要家臣で彼の守護代であった甲斐敏光が文明7(1475)年に東軍に降伏したことで勢力を失い、尾張に下向したのちに動向がわからなくなります。あるいはその後、遠江に移動し横地氏に迎え入れられた可能性もなくはないのですが、しかし横地氏は東幕府の斯波義敏の配下であったことから、義廉の亡命を受け入れたとは考えにくいのではないでしょうか。また、横地氏は翌文明8(1476)年に駿河今川氏の攻撃を受けて没落してしまっています。これらのことを踏まえるとやはり斯波武衛は義廉ではないでしょう。とすると、斯波武衛とは誰なのか。実際に斯波家の当主が横地城に滞在したことはあるのか。これらの謎が残ります。現地は藪におおわれており、庭園の跡であることを偲ぶことはできません。それと、奥に畑があるような……また、一帯には家臣の屋敷があったとつたえられています。いわゆる根古屋であったのでしょうか。
2022/7/2斬波義廉と家臣団の居館跡。林に入ると削平地がある。
斯波武衛義廉の邸宅跡とされる。
名前 |
斯波武衛邸宅跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.5 |
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説明板があるが木と藪に覆われているだけの場所。