国道9号線沿い 大内氏の歴史。
大内新介弘直の墓の特徴
山口の大内氏の兄弟、弘直の墓がある史跡です。
国道9号線から右折、5分先に位置する隠れた名所です。
崖に佇む五輪塔と説明板、歴史を感じられる場所です。
島根県唯一の主要幹線道路国道9号線で三隅から益田市に向いそれ程益田寄りでない内に左折、5分位山の方へ向うと左側の崖に五輪塔と説明板が、車は少し先の街路樹と道の間に駐車可能大内氏、結局島根県石見国に直接的な支配を確立する事は出来ず大内弘直の菩提寺は山口県山口市瑞雲寺に在るそうですが遺髪とかで大部分は此処に埋葬されたのでは?是位の史跡が有り難いです、9号線や新しく並行して建設中の山陰高速自動車道から結構離れて山の細い一方通行ですれ違う度にヒヤヒヤする所は疲れますまた郷土の英雄として説明文が矢鱈詳しい武将の史跡も。
大内氏8代当主弘幸の弟。この辺りの、大山城跡で討死した。益田市指定文化財。
名前 |
大内新介弘直の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.7 |
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大内新介弘直は、山口の大内氏22代 重弘の子、23代 弘幸の弟です。南北朝時代、兄の弘幸は北朝方、弟の弘直は南朝方になり、兄弟が敵味方になってしまいました。延元元年・建武3年(1336年)7月、石見に攻め寄せた大内氏と益田氏10代 兼世の連合軍を迎撃して奮戦しましたが、はかなくも最期を遂げました。時代に翻弄された兄弟ですね。ちなみに、山口市の「上竪火除け地蔵尊」は弘直が彫った仏像で、兄 弘幸が地蔵堂を建てたそうです。また、山口市「普門寺」にも弘直のお墓があります。