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名前 |
延原景能墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
三ツ星城の後藤勝元は宇喜田尚家の娘婿ということで 東美作の旗頭として この地勢力を拡大していた。ところか 勝元の配下と宇喜田の家老延原弾正 花房とともに 美作市河会あたりを巡って争っ争いが起きた。初め宇喜田は親戚でもあり あまり相手にしなかったか 花房・延原が強く言うものと宇喜田も支配地を広げる機会ということで 天正7年 相まみえることとなった。鷹巣上では 延原は 城山に火をつけて 海田の鷹巣城に駆け付けた林野城主江見 矢櫃城主江見の300基ほど援軍に駆け付 火をつけられ打って出 ついに落城。さらに 遡上して 秀吉の3日城のように 位田の勝間山に勝間城を短期で作り、三ツ星城攻めの最前線とし戦いを挑んだ。なかなか 勝敗が付かない中湯郷の僧を使って 内紛を起こさせ ついに 打って出てた。三ツ星城と林野城側は宇喜田軍をよく防いだが、ついに落城。延原弾正は 石碑に書いてあるように 鷹巣譲 茶臼山城の城主となった。子孫はなく 縁者がが近年 立派なお墓・記念碑を立てた。ここは 藤公園のすぐ上流で日笠に入ると すぐ 左側の道を 山麓に沿って300メートルぐらい行った右側にあり 生きやすい。マイクロバスなら現地まで行けるし そこで方向転換することもできる。