江戸の歴史、子どもの名が刻まれた道供養碑。
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明和六(己丑)年は江戸中期の1769年。
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名前 |
道供養碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
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道供養碑の高さ 114㎝正面の横幅 38㎝側面 36.5㎝正面には大きく 道供養上部には 大乗妙典この石碑にはぎっしりと戒名が刻まれており全部で113名その中には子どもと思われる名前もあるのです。裏面からわかるのは、、、大坂の、(おそらく飛脚問屋の)島屋金兵衛が伏尾村の孫七のお世話で道供養碑を建立したということ。道供養碑の拓本をとって、何が書かれているのかはわかっていますがこの戒名の人々がどうゆう関係者なのか島屋金兵衛や孫七とはどんな人なのか、わかっていません。いつ 1769年どこで 伏尾の山奥 梨子木峠誰が 島屋金兵衛が伏尾村の孫七のお世話で何を 道供養碑をどうした 建てたこんな感じです。全国にも、道供養碑という存在は何カ所かあるようですが道しるべとか、お地蔵様と比べると、ものすごく数が少ないです。