大正時代の記念碑が魅力。
讃岐国府跡の特徴
住宅や田んぼの側にある独特な石碑が立っています。
大正時代に建てられた記念碑が印象的です。
駐車場が無く道が狭い立地の史跡です。
駐車場が無く、道も狭い。車を停めるとなると南側の川の堤防の道にに停めて歩いていくしかないと思う。
大正時代に建てられて大きな記念碑が建っています。この辺り周辺が国府跡とされてきました。この周辺は発掘が進められその概要が明らかになりつつあるようです。 城山の南東方の府中町本村付近で、綾川は不思議な流れ方を見せます。「コ」の字形に、その流路をおおきく曲げるのです。何かしらの人為的な工事を思わせます。『延喜式』には讃岐国府は阿野郡にありと書かれ、古くからこの地域に讃岐国の国府跡が考えられてきました。「帳継」「正惣」など、国府と関連するとおもねれる地名も数多くのこつています。一九七七年(昭和52)から継続して、この地域に発掘調査が実施されてきた。その結果、倉庫跡、築地の基壇など出てきています。なお、方五町と推定されている国府の範囲に、見学できるものはありません。ただ、讃岐守となった菅原道真が、その漢詩文集「菅家文草」巻二におさめた「客舎冬夜」と題する詩に「開法寺中暁驚鐘開法寺在府衛之西」とあります。讃岐国府の西に開法寺と称する寺があったと記しているのです。この南西に礎石をとどめた基壇があり、開法寺の塔跡と考えられています。
名前 |
讃岐国府跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0877-44-5036 |
住所 |
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HP |
http://www.city.sakaide.lg.jp/soshiki/bunkashinkou/sanukikokuhuato.html |
評価 |
4.1 |
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遠足で来たことは多分あったと思いますが、住宅や田んぼの側に石碑は立っています。