大正時代の国司庁跡碑、歴史を感じる場所。
讃岐国府跡の特徴
住宅や田んぼの側にある独特な石碑が立っています。
大正時代に建てられた記念碑が印象的です。
駐車場が無く道が狭い立地の史跡です。
さて香川県で何故か人気者の「菅原道真」は「松山の津」から綾川を登り国府に着任。仕事が終わると再び船に乗って綾川を戻り今度は南に。今は「府中ダム」があるけれどその頃は綾川で今の「滝宮」の屋敷に戻ったらしい(馬でも良いが)。そこは今の「滝宮天満宮」になりました。とは地元の年寄りの話。しかし有名人なら「藤原佐理」がなんとなくイロイロあるけれど・・三跡なので。香川県歴史ミュージアムに書が在ります。なんと国宝。でもね「紀夏井」こそが一番だ!。何故か香川県人は知らない。当時の讃岐人たちには「大恩人」。半世紀後くらいにやって来た道真公は常に比較されてやりにくかったとか(笑)夏井には常に良い話しが伝わっていて有り難い。最後は道真公より不遇になるけれど悪霊に成って大暴れしない所は「お人柄」。未だに教科書に載らないのが不思議ですね。
遠足で来たことは多分あったと思いますが、住宅や田んぼの側に石碑は立っています。
駐車場が無く、道も狭い。車を停めるとなると南側の川の堤防の道にに停めて歩いていくしかないと思う。
大正時代に建てられて大きな記念碑が建っています。この辺り周辺が国府跡とされてきました。この周辺は発掘が進められその概要が明らかになりつつあるようです。 城山の南東方の府中町本村付近で、綾川は不思議な流れ方を見せます。「コ」の字形に、その流路をおおきく曲げるのです。何かしらの人為的な工事を思わせます。『延喜式』には讃岐国府は阿野郡にありと書かれ、古くからこの地域に讃岐国の国府跡が考えられてきました。「帳継」「正惣」など、国府と関連するとおもねれる地名も数多くのこつています。一九七七年(昭和52)から継続して、この地域に発掘調査が実施されてきた。その結果、倉庫跡、築地の基壇など出てきています。なお、方五町と推定されている国府の範囲に、見学できるものはありません。ただ、讃岐守となった菅原道真が、その漢詩文集「菅家文草」巻二におさめた「客舎冬夜」と題する詩に「開法寺中暁驚鐘開法寺在府衛之西」とあります。讃岐国府の西に開法寺と称する寺があったと記しているのです。この南西に礎石をとどめた基壇があり、開法寺の塔跡と考えられています。
| 名前 |
讃岐国府跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0877-44-5036 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.sakaide.lg.jp/soshiki/bunkashinkou/sanukikokuhuato.html |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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国司庁跡碑(背面)の碑文は以下の通りです。「首唱建碑者為藤井亀三郎和而贊之者曰池浦恒次飛谷栄尾崎駒吉尾崎栄吉田斗次郎上原新太郎栗林次郎七松本惣市赤澤昇佐野龍一平田三郎大正十一年文成十四年十二月建此」(AI訳)この文章は、大正11年(1922年)12月に建てられた国司庁碑の碑文です。この碑は、香川県坂出市の讃岐国府跡に建てられています。碑文には、藤井亀三郎が首唱し、池浦恒次、飛谷栄、尾崎駒吉、尾崎栄吉、田斗次郎、上原新太郎、栗林次郎七、松本惣市、赤澤昇、佐野龍一、平田三郎が建立を賛同したことが記されています。この碑は、讃岐国府跡の発掘調査が行われた際に、1922年に建てられたものであるとされています。