鯉山小学校近くの歴史探訪。
妹尾兼康公墓の特徴
鯉山小学校の隣に位置し、散歩ついでに訪れる場所です。
榮西禪師の生誕地にも近く、文化散策に最適です。
平家の武将・妹尾兼康の墓地がある歴史的なスポットです。
平家の武将、備前妹尾郡の生まれ、電設会社の敷地奥にあります。
小学校の横に入った様なトコにあります。
瀬尾(妹尾)太郎兼康(せのお かねやす)は、『保元物語』『平治物語』『平家物語』などに平家方の侍として名が現れ、源義仲をして「あっぱれ剛の者かな。是をこそ一人當千の兵ともいふべけれ」と賞賛された武士で、備前国妹尾荘を治めた。義仲との福隆寺縄手の戦いで討たれた兼康の遺骸は郎従の陶山道勝によって葬られ、その場所に道勝寺が建立された。明治初年に道勝寺は廃寺となり、その跡地は鯉山小学校となっている。総社市上林に兼康を祀る太郎荒神や兼康の首が掛けられた「備中国鷺が森」の遺称地だという鷺の森公園がある。
| 名前 |
妹尾兼康公墓 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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散步吉備津地區時,意外發現的一處地點,位於鯉山小學校旁,距離榮西禪師生誕地非常近,順路可看看。妹尾兼康(瀬尾太郎兼康,1126~1183)是備中妹尾地區的豪族,為平氏家臣,立下多次軍功,其英名遠播天下。其更在領地開墾新田,並於1182年(壽永元年)從高梁川引水,整修了如今仍在使用的「十二鄉用水路」(潛井井堰)。據《平家物語》記載,他是受到平清盛信任的武將,在1183年(壽永2年)10月,於板倉城與木曾義仲的軍勢交戰時戰死。其後,家臣陶山道勝將主公的遺體葬於城跡,並為供奉他而建寺,這座寺廟就是道勝寺(明治時代廢寺),也就是今天的鯉山小學校所在地。