大八車の歴史を感じる、用沢の車地蔵さん。
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鎌倉時代に鎌倉の建長寺を建立する際に全国から大木を集めたそうです。その中の一本を車で運ぶ三兄弟がこの場所に来た際に車が壊れ兄弟の一人が大木に挟まれ亡くなったそうです。その後大木を運び終えた兄弟たちは亡くなった兄弟の為にこの地に地蔵尊を祭りました。
名前 |
車地蔵 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
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建長三年(1251年) 鎌倉幕府の執権北条時頼が鎌倉に建長寺を創建するにあたり、柱をここ富士の裾野より調達していました木材は大八車で運ばれていたのですが、ある日この地を通った一台の大八車の心棒が折れ一人が下敷きとなり命を落としてしまいます建長寺門前でとび職をしていたその方の兄と弟は大いに悲しみ、この地に移住しお堂を建てその霊を慰めましたご本尊は六角形の石のろくろで各面に地蔵様が刻まれています口伝からではありますがその芯棒穴は直径約15cm、心棒には椿の木を用いたようですちなみに三兄弟は姓を常盤と言ったようで、今でもこの界隈に10軒程の常盤姓の方がいらっしゃるそうですが、きっとその三兄弟がルーツの方々なのかもしれません余談ですがここはその昔とある土豪の広大な土地の一部でしたあまりにも土地が広すぎたためその土豪はほとんどを人手に任せ耕させていたのですが、この地だけは気に入っていて自ら作物を作っていたようですそこからこの地を「用作/ヨウサク」や「勇若/ユウジャク」と呼ぶようになりそれが訛ってここの町名「用沢」になったのだとかそんな用沢に住まれる方々にいつしかこのお堂は「車地蔵さん」と呼ばれるようになります毎年9月の縁日には寄り添って供養をし念仏会が催されるようです尚、この付近でも幾度にも交通事故は起こるそうですがいずれも軽微に済んでいるとの事きっとここのご加護なのらしいですよ(。-∀-) ニヒそれはいいとしてご本尊が見当たりませんねどこにあるのかしら・・? (;^_^A