英勝寺で感じる太田道灌公の歴史。
太田道灌邸舊蹟の特徴
太田道灌の館跡に建つ英勝寺が歴史的な雰囲気を醸し出しています。
戦国時代初期の名将、太田道灌公の功績をシンボルにしています。
江戸城や河越城を築いた武将の歴史を肌で感じることができます。
戦国時代初期の名将、太田道灌公の館跡の石碑。英勝院(お梶の方)が、徳川家光から祖先の太田道灌館跡に領地を賜り、菩提所として建てた尼寺英勝寺の山門前にあります。
英勝寺は太田道灌の玄孫とされる女性が徳川家康の側室となり、道灌の屋敷跡と伝えられる地に建立した寺。寺号は彼女の法名である英勝院からきている。彼女が道灌の子孫であったことを裏付ける一次史料はないが、貴種の子孫を保護することに熱心だった家康に気に入られ、大いに才覚を発揮したようだ。太田氏は彼女の甥とされる資宗が継いで六人衆(後の若年寄)にまで栄達するが、この人も実際には出自がはっきりしていない。資宗は「寛永諸家系図伝」の編纂者でもあり、太田氏の嫡流とされる福井藩太田氏から系図や文書を借り受け、自家に都合のいいように書き換えたとも言われている。
江戸城や河越城を築いた太田道灌公の館跡。
太田道灌の江戸時代の子孫のお梶の方が道灌乗の居所に建てた尼寺が英勝寺。お梶の方は水戸藩主の乳母だったため水戸家な姫が代々の住職を勤めたとのことです。
名前 |
太田道灌邸舊蹟 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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英勝寺の境内に太田道灌邸旧跡がありました。境内と言っても塀の外、道路沿いなので、石碑は自由に見ることができます。この道路は、英勝寺へ御朱印を頂きに行ったときなど何度も通ったことがありますが、石碑があることには全く気がついていませんでした。人間、見たいものしか目に入らないようです。太田道灌は、江戸城を築城したことで有名ですが、何となく東京付近に住んでいたとばかり思っていたので、こちらに屋敷があったと知って驚きました。太田道灌は、室町時代後期に扇谷上杉氏の重臣として活躍した武将だったそうです。また、茅葺の家で雨具を乞うと、少女が山吹の花一枝を差し出した、という話も有名ですが、これも太田道灌の逸話だったことは、すっかり忘れていました。あと、徳川家康の側室、お勝の方(英勝院)が太田道灌の子孫だったというのは初耳でした。石碑一つから、いろんな「へぇ〜」があって、楽しいひとときを過ごしました。石碑には、以下のようなことが書かれていました。ここは、武略と文才を兼ねそなえ、「武蔵野は萱原の野と聞きしかどかかる言葉の花もあるかな」と詠み、天皇を感心させた太田道灌が江戸城築城前に住んでいた場所。英勝寺は、寛永11年(1634年)初代水戸藩徳川頼房の養母であった英勝院によって建てられた。英勝院は、太田道灌の子孫の太田康資の娘で、晩年に将軍徳川家光から、この地を授かり住むようになった。雨の中、ひとり馬に乗り、茅葺の家で雨具を乞うと、少女が山吹の花一枝を差し出した、という逸話は、太田道灌がこの場所に住んでいた頃のもの。