武田家最後の地、歴史を感じて。
四郎作古戦場跡の特徴
武田勝頼公にまつわる歴史を感じることができる石碑があります。
小宮山内膳の忠義が伝わる特別なスポットです。
甲斐大和からの静かな道を歩くと見つかる歴史の証です。
天正10年(1582)甲斐武田氏滅亡時、武田勝頼、嫡男 信勝、正室の北条夫人らが自害する時を作るため、最後まで残った家臣たちが死を恐れず僅かな人数で戦った場所です。中でも小宮山内膳友晴は、重臣たちの諫言により蟄居を命じられていました。しかし、「譜代の臣でありながら、武田家最後の戦いに臨めなかったなら小宮山家末代までの恥辱であり武士道にも背く」と勝頼の元に駆けつけ主君のためこの地で討ち死にしました。
武田勝頼公天目山記所縁りのスポットガイド小宮山内膳は主君の危急を知り決戦の前夜一行に追い付き「友晴が譜代の臣でありながら武田家の最後の戦いに臨めなかったなら小宮山家末代までの恥辱であり武士道にも背くゆえ蟄居の許しを請い最後の戦いに御盾となり高思の万分の一にも報いたい」と言上しました。勝頼は「あっぱれな武士の鑑よな余の不徳の致す処であった」と直ちにこれを許したのでした。小宮山内膳は勇躍戦いの最前線であるこの地に陣を敷き寄せ来る敵と奮戦数刻の末従容として主君に殉じたのでした。
石碑がひっそりとあります。
甲斐大和から歩いてみないと見落とします小さな石碑ですが、戦国時代があったのだと改めて感じます。
名前 |
四郎作古戦場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.3 |
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一応車を停めれるスペースもあり、見ることができました。悲惨な最後のイメージが強いですが、謹慎中にも駆けつけた忠臣のエピソードもあり、少し救われた気持ちでした。