武田勝頼公ゆかりの景徳院へ。
武田勝頼の墓の特徴
新田次郎の武田勝頼との縁がある場所です。
勝頼公のお墓や没頭地蔵尊が見られます。
人も少なく静かに散策できる貴重な史跡です。
5/14/202510年以上前、新田次郎の「武田勝頼」を読んだ後訪ねた記憶がある。その時は只々陰惨という印象が残ったが、この日はさわやかな新緑に包まれて、素直に英雄を偲ぶことができた。後に多くの武田家旧臣を再雇用した家康が田野一円を寺領として与え、景徳院を寺号に田野寺が建立された。その際の住持には勝頼を守って寺に近い鳥居畑で討死した小宮山友晴の弟で僧になっていた拈橋倀因( ねんきょう-ちょういん)が指名されたという。小宮山友晴は敗北した長篠合戦で敵前逃亡したした武田信廉らを批判して蟄居を命じられていたが、主君勝頼の助力に駆け付けた。穴山梅雪や木曽義昌などの裏切りが目立つ中で、実に気持ちの良い話だ。
景徳院(けいとくいん)は、曹洞宗のお寺です。武田勝頼父子および家臣の慰霊のため、徳川家康の命により天正10年(1583年)に創建されました。天正10年(1582)、甲斐国国主・武田勝頼は織田信長・徳川家康連合軍の侵攻により、この地で自刃しました。境内供養塔 地図の場所はここ安永4年(1775年)に11世住職により造立された勝頼、信勝、北条夫人の供養塔があります。没頭地蔵尊 この場所より門側に下った場所にあります織田勢に首を持ち去られた後の武田勝頼・信勝・北条夫人の遺体を葬った場所と言われています。後に地元の人々が三体の首のない地蔵尊を祀ったと言われています。甲将殿 この場所の前の建物勝頼らが自刃したという場所に建てられています。勝頼・信勝・北条夫人の坐像と位牌、三人とともに討死した家臣の位牌が納められています。生涯石武田勝頼/夫人/信勝の3名が石の上に座って自害した場所。
武田勝頼公終焉の地であり、勝頼公のお墓の他に生涯石、没頭地蔵尊があり、人も少ないのでゆっくり散策が出来ます。戦国史好きなら訪れるべき場所です。
名前 |
武田勝頼の墓 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0553-32-2111 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.6 |
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いつか訪れてみたい場所でした。あまりに切ない物語なのでなかなか足を運べずにいました。お寺までの参道を登り始めてすぐにネコちゃんのお出迎え?痩せて可愛くもないネコちゃんなのですが自分が登っては立ち止まって休憩、その度にネコちゃんも歩幅をあわせます。ネコちゃんの後を着いていくと勝頼のお墓でした。おお連れてきてくれたのか~でした😄怖いけど。休んでるとジーッと見て、歩き始めると一定の距離を保って先を進む。麓から墓までネコがそんな事するか?でした。新府城からここまで結構あります。甲府盆地はまだしも途中から延々と坂道になります。信じて待ったか?分かりません。どんな思いで最後を迎えたのかと思うと想像し難く、どこかで安易に訪れてはいけない場所にも思います。私にとってこの御方は武田勝頼でなく「諏訪四郎勝頼」何故か気になります🙇