武田勝頼公思案石を訪ねて。
大蔵原勝頼公思案石の特徴
武田勝頼公が腰をかけた思案石は歴史的価値が高いです。
日川渓谷レジャーセンター内に隠れた魅力的なスポットがあります。
武田菱に似た条紋が浮かぶ思案石は必見です。
勝頼公思案石(大蔵原思案石)は武田勝頼公が進退窮まった際に腰かけていた石といわれていて、武田勝頼公は、織田・徳川両軍の進撃により、天正10年(1582年)3月10日天目山方面を目指して大蔵原まで来たところ、謀叛を起した小山田信茂の軍勢は、早くも郡内の真木から小金沢を経て、この付近の峰に構えているとの情報を得た、また、武田の浪人辻弥兵衛の一隊が、勝沼の深沢口より山越しに迂回し、天目山栖雲寺を経て、この先の枕坂山上に陣を敷き要撃する構えがあるのを知り、進路を全く塞がれた、この時武田勝頼公は、路傍の石に腰を掛けしばらく思慮していたが、この付近で戦うには地の利がないことを悟り、意を決して再び田野に引き返したと言われていて、武田勝頼公が腰を掛けた石には、武田菱に似た条紋が浮いているとの事でしたが、信用したいた、譜代家老衆の小山田信茂の裏切りはどんなに悔しかったかと勝頼公心中を思い暫し石を見ていましたが武田菱状の条紋確認出来ませんでした、場所は日川渓谷レジャーセンター内のバンガローが有るテニスコートの横にひっそりと思案石が有ります、見学用の駐車場は無いようでしたので、日川渓谷レジャーセンターに入る坂道に車を寄せて停めさせて頂き徒歩にて散策しました!
武田勝頼は、織田・徳川両軍の進撃により、天正10(1582)年3月10日天目山方面を目指してこの地(大蔵原)まで来たところ、謀反を起した小山田信茂の軍勢は、早くも郡内の真木から小金沢を経て、この付近の峰に構えているとの情報を得ました。武田の浪人辻弥兵衛の一隊が、勝沼の深沢口より山越しに迂回し、天目山栖雲寺を経て、この先の枕坂山上に陣を敷き要撃する構えがあるのを知り、進路を全く塞がれ進退窮まりました。この時勝頼は、路傍の石に腰を掛けしばらく思慮していたが、この付近で戦うには地の利がないことを悟り、意を決して再び田野に引き返したと言われていています。勝頼が腰を掛けた石には、武田菱に似た条紋が浮いており、大蔵原思案石といいます。
非常にわかりにくいところにあり、1度目は気付きませんでした。カーブの曲がり角、テニスコードを目印にすると見落とさないかと。全く行き場を失った勝頼公はこの石に腰掛け何を想ったか。実際に座れますので想いを馳せるのも一興です。なお武田菱の条紋はどうにも見えません。1582年3月10日、織田軍に追われ大月の岩殿城へ向かうも小山田に裏切られ、上流の天目山栖雲寺を目指した勝頼一行であったが、早くも小山田の軍勢がこの付近の峰に進出しているとの情報を得た。また、武田の浪人辻弥兵衛の一隊が勝沼深沢口より迂回し栖雲寺を経て、この先の山上に陣を敷き待ち構えているのを知り、進路を全く塞がれた。勝頼公は路傍の石に腰を掛けしばらく思案していたが、地の利が無い事を悟り、意を決し再び田野に引き返したとされる。この石には武田菱に似た条紋が浮いており、大蔵原思案石という。
名前 |
大蔵原勝頼公思案石 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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武田勝頼公天目山記所縁りのスポットガイド日川沿いを北上した武田勝頼公一行でしたが、上流に敵が現れた為、どうしようかと武田勝頼が腰かけて思案したと言うのが、この大蔵沢の思案石です。