大手門跡で古を感じる。
大手の門跡の特徴
八王子城御主殿へ続く古道に位置する大手門跡です。
発掘調査で確認された歴史的な大手門跡は魅力的です。
八王子城跡で感じる歴史と伝統が息づく場所です。
現在は埋め戻されていますが、門の礎石や敷石が見つかりました。このあたりが八王子城の正面口だったと考えられます。
この場所に大手門がありました。ここから古道を通って櫓門跡に向かいます。
八王子城御主殿に向かう古道で発掘された大手門跡。礎石は現在は埋め戻されています。
発掘調査で大手門跡が確認されました。この先に御主殿あり、その手前には橋が架かってます。(以下八王子市HPより)小田原に本拠をおいた小田原北条氏の三代目、氏康の三男、北条氏照(?から1590年)が築いた山城です。築城の時期ははっきりしませんが、天正年間に築城が開始され、氏照が滝山城から移ったのは天正12年(1584年)から天正15年(1587年)の間とする説が有力です。天正18年(1590年)6月23日、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城しました。この、八王子城落城が決め手となって籠城を続けていた小田原城は開城、北条氏は滅亡しました。氏照はこの時、小田原に籠城中で、開城後、兄の氏政とともに城下で切腹しました。八王子城は、関東屈指の山城です。氏照が構想していた城郭は壮大で、落城時はまだ未完成の状態であったと考えられています。城は大まかに、城下町に当たる「根小屋地区」、城主氏照の館のあった「御主殿跡」などの「居館地区」、戦闘時に要塞となる「要害地区」に分かれています。平成2年(1990年)の落城400年という節目に、御主殿地区の石垣と虎口などの通路、御主殿に続く古道が整備されました。石畳や石垣は、発掘によって確認された当時のものをなるべく活用し、破損していた個所についても、できるだけ当時の形に忠実な復元がされています。また、見学者の案内のために管理棟が建てられ、広場に八王子城案内板が設置されました。八王子城周辺は、江戸時代には徳川幕府の直轄地、明治になってからは国有林となっていたため、あまり人の手が入らず、御主殿周辺の遺構は良好な形で残っていました。要害地区は深沢山(城山)の地形を巧みに利用して作られています。頂上に本丸が設けられ、周囲に敵の侵入や攻撃を防ぐために「曲輪」と呼ばれる平場が配置されています。戦国の山城としての状態を良く残していることなどから、平成18年4月に日本城郭協会より「日本100名城」に選定されました。八王子市内では八王子城のほかに滝山城が「続日本100名城」に選定されています。
| 名前 |
大手の門跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
〒193-0826 東京都八王子市元八王子町3丁目 Unnamed Road |
周辺のオススメ
地形から、様々な姿がうかんできます。