スポンサードリンク
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
画像は著作権で保護されている場合があります。
| 名前 |
川越街道 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
府中街道をここから北上すると、西国分寺駅手前で左側に伝鎌倉街道(国分尼寺跡のあたり)、右側に東山道跡(国分寺跡のあたり)があります。ここ川越街道跡地は、かつて鎌倉街道に属していたのか、東山道に属していたのか悩むところです。川越には、室町時代中期に関東管領上杉の宰相だった太田道灌の築いた川越城がありました。この城は上杉にとって、同じく太田道灌が築いた江戸城と共に、宿敵古河公方に対する防衛拠点として大切な城でした。鎌倉を拠点としていた関東管領上杉にとって、鎌倉と川越を結ぶ道路は軍事上欠かせなかったはずです。ちなみに川越城と江戸城を結ぶ道路は、現在の国道254号線で、これも川越街道と呼ばれています。ここ府中街道を南下すると、府中市役所の手前の角を右折して旧甲州街道に入り、分倍河原の角で左折して鎌倉街道に入って鎌倉を目指すことになり、二つも角を曲がらなければなりません。速やかな行軍を旨とする軍用道路には適さないような気がします。室町時代の川越街道は直線的に分倍河原を通って、多摩川を渡り、多摩市関戸城を経て鎌倉に至ったのでしょうか? その道路はさらにその昔、新田義貞が鎌倉幕府を討ち滅ぼすために、鎌倉に進軍した道路と同じなのでしょうか? 現在の府中街道を南下して、旧甲州街道を突っ切り、左手に府中市役所を見ながら進むと、多摩川是政の渡し(現在は是政橋)を渡って、平塚、茅ヶ崎に至るので、ほぼ東山道と一致しているように思えますが…。