平家物語の真実、石田為久の足跡。
圓光院と別に検索して場所を訪問する歴史研究者が訪れやすいように項目立てました都内から車なら厚木西IC、最寄駅は小田急線石田愛甲駅石田為久公、平家物語木曾殿の最後で矢を当て郎党が首を取り鬼神と謳われた木曽義仲殿を相模の住人石田次郎為久が討取ったと名乗りを上げますがwikiでは愚管抄で源義経郎党伊勢義盛が討取ったと書かれていたとか吾妻鑑にも石田為久なのですが可能性としては…元々坂東平氏三浦氏の庶流蘆名氏為景の息子大功を挙げた割に其の後名前が出て来ませんが、検索で出て来る個人ブログには関ヶ原の石田三成は子孫とか、大一大万大吉の旗印も使っていたとか。
名前 |
石田為久・為景之墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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桓武平氏を祖とする三浦党の一族で、糟屋庄石田郷に居を構えていたという。木曽義仲追討の際に手柄を上げ、頼朝から近江国石田村に所領を授かりました。これが石田三成を輩出する近江石田家の興りだといいます。お墓自体は昭和になってから建てられたもののようですが、地元の偉人を偲ぶ場所があるというのは良いですね。