新田町の久米池近くで特別な法要を。
本覚寺の特徴
七回忌法要にぴったりな静かな雰囲気の寺院です。
新田町の久米池近くに位置しアクセスも良好です。
大きな屋根が目印で、訪れやすい場所にあります。
新田町の久米池から県道30号線(新田街道)を北に約1kmほど行くと右側(東側)に大きな屋根が見えます。ここが法華宗(日蓮宗)本覚寺です。砂利道の参道を入ると大変立派な木造の本堂が目に飛び込んで来て圧巻です。その本堂の奥には書院、庫裡があり、また本堂のまえには現在、永代堂を建設中です。宗派 法華宗(日蓮宗)本門流御本尊 本門八品上行所伝の南妙法蓮華経当寺は元々高松旧市内に有りましたが近年、新田町の当地に移転して来たそうです。色々と資料を見ましたが、古馬場町の本覚寺か?御坊町の本覚寺か?現在もある町の本覚寺なのか?昭和二十年の高松空襲により、この辺りの寺々は殆んどが消失し、資料が分かり難いので分かりましたら修正したいと思っています。また本堂左側の境内に大変興味深い石碑が有りました。「勤王志士遺跡」と彫り込まれております。裏面には「明治維新の前に勤王志士は幕府に追われていた中山侍従忠光、澤宣嘉、久坂通武、桂小五郎、藤本鐵石、平野次郎、高杉晋作、僧月照等を松平左近が高松東郊外の城東出晴大雄庵で匿う。」と彫られています。この碑は元々大雄庵跡にあったものを移転したそうです。松平左近は高松藩第八代藩主の長男に生まれたが事情で廃嫡と成り、宮脇町亀阜で暮らし学問、文化事業に力を尽くします。また水戸藩主の斉昭の影響を受け尊皇に傾倒したそうです。そのため勤王の志士を匿ったようです。それから戊辰戦争の時には高松藩が会津藩と共に朝敵となり新政府軍に攻撃される前に左近の尽力により救われたそうです。また左近は法華宗に帰依していて熱心な信者でしたので当寺とも関係が深く亡くなった後は菩提寺と成って居ります。現在の客殿の一室には左近が暮した亀阜荘の扇の間を再現されているそうです。当寺は幕末から明治維新への大変換期を見守った歴史を持つ寺院です。
名前 |
本覚寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
087-887-1850 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
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伯母の七回忌法要に行きました。法華宗のお寺さんです。