阿弥陀如来と磨崖仏の寺院。
西教寺の特徴
奥の院の南斜面にある磨崖仏は必見のスポットです。
JR津田駅から1.7キロメートル、訪れやすい立地にあります。
真言宗善通寺派の寺院で歴史を感じる空間です。
奥の院の南斜面に磨崖仏があります。磨崖仏の脇の鎖の階段を登れば別の彫刻もあります。
西教寺は真言宗善通寺派でJR 津田駅から1.7キロメートルの所に位置します。ここが有名なのは、ここから徒歩で20分の所に、奥の院の磨崖仏がある。この仏の出来た謂れそうである。標高160メートルの火山中復に整形された平坦地に位置し、凝っ灰岩の岩壁に磨崖仏が彫刻されている。堂の西側の巨石に彫刻されている磨崖仏は弘法大師が、一夜で彫ろうとしたが、鶏が鳴いたので中止したとする伝承がある。像が光背をあらわす円形のくり込みをづくり、上半身が半肉彫されている。下半身は岩盤が剥がれ落ちて本来の形将は不明である。胸部には合掌のような表現が見えるが、自然の割れ目か、人為的な彫刻かはつきりとしない。古くから薬師如来とされているが、像の特徴からは薬師如来と断定することは出来ず大日如来等他の如来像となる可能性もある。製作時期は像の形から、平安時代後期から鎌倉時代初頭が推測される。
| 名前 |
西教寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0879-43-5461 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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