古墳のような塚、歴史に触れる。
埼玉県児玉郡上里町帯刀古墳群地神塚(じしんつか)古墳跡。資料によると、上里町五明にあった円墳で、埼玉県古墳詳細分布調査報告書では大きさ7mとあります。圃場整備に引っかかり、2007年11月から2008年1月まで発掘調査が行われ、その後墳丘は削平されています。その際、模様積みの石室が検出され、また直刀やガラス小玉なども出土している。とありました。詳細は、「上里町帯刀古墳群地神塚古墳発掘調査報告書」として書物になっています。現在当地を訪れると、平坦な畑になっていて、その辺りではまるで古墳の様な残土の盛り土や、掘りえぐった窪地などがあり、土砂の業者のトラックが往来していました。ある歴史学者が、古代の古墳とはその地域の開墾開拓の為発生した残土の山で、ついでにその地域の長の人たちをその残土の塚に埋葬し、祀ってシンボルとしたとの見解を述べていました。帯刀古墳群は、東西900m、南北1kmの広範な区域に広がり、桑畑や梨畑の中に32基を超える古墳が点在しているそうで、それは関越道上里サービスエリアの南一帯にあたるそうです。築造年代は、出土品から、6世紀中頃から7世紀代と推定されるそうです。このエリアには、北に式内社の比定社と論じられている天神社(上里町五明)、南に菅原神社(上里町帯刀)の古社があり、古代の豪族の存在が感じられます。
名前 |
帯刀古墳群地神塚古墳跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.5 |
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この辺りでお椀を伏せたようなこんもりした塚は、ほぼ古墳のようですね。古墳群というだけあってよく目にします。かつてはここにも円墳があったそうですが、今は一面の水田が広がっていて、最初は気がつかず通り過ぎてしまいました。これだけの古墳があるということは、かつてこの地域は豊かで文化もあり、統率する指導者がいたということでしょうね。どんな暮らしをしていたのかな。