神流川を見守る八千矛神社。
川井城跡の特徴
川沿いに位置している川井城跡は、神社が鎮座する場所です。
復元された石垣が歴史を感じさせる貴重なスポットです。
神流川合戦の舞台となった川井城の跡地で歴史探訪が楽しめます。
神流川合戦で滝川一益に攻め落とされた、金窪城(埼玉県上里町金久保)の支城・川井城の跡地で、八千矛神社が鎮座しています。「改築記念碑」によると、当社は、江戸時代末期の弘化年間(1844~47)に、烏川対岸の金窪城の支城であった川井城の城跡に「摩利支天」を祭って創建されたが、明治維新の神仏分離令に従って大己貴命を祭神とする「八千矛神社」と改称された。摩利支天は、古代インドの神で、敵から身を隠し障害を除いて利益を施す神として信仰されてきたが、我国では武運長久の神として武士の崇敬を集め、後世は勝負運の神・災難除けの神として庶民に信仰されるようになった。その開運守護神としての信仰は根強く、今なお「川井のまるしてん」として親しまれている。以下改築の記述省略。とあります。鳥居の社額に「摩利支天宮」とある様に、御祭神は摩利支天尊であるらしい。地図上の社名の「八千矛神社(やちほこ)」と言うのは明治政府の政策上の名残りであると思われます。境内に、秦氏神祭所と刻まれた石祠があるそうで、渡来神との関係が伺われます。
城跡に現在は神社が建っている。朱色の鳥居が美しく目を惹く。
村の外れにポツンとある感じ説明書きはちゃんとありました掃除はされているようですが寂れた雰囲気でした。
| 名前 |
川井城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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川沿いにある城跡で現在は石垣の上に神社が鎮座しています。川井城は、烏川対岸の金窪城主斉藤定盛の支城で、弟の石見守基盛が在城したとされています。北条指揮下にあった城は、天正10年(1582)の神流川合戦で滝川一益に攻め落とされた。 その後、箕輪城麾下(きか)の時重の四代目清水内記邦正が定盛の長女を妻として此の地を譲り受けた。 子孫代々城郭の楼台跡に摩利支天を祀っていたが、慶応4年(1858)に神仏判然令で八千矛神社(やちほこじんじゃ\u003d祭神大己貴命)となり、櫓台跡といわれる高台に現在もあります。