横浜の歴史、アーチ煉瓦遺構。
航路標識管理所 煉瓦造導水管の特徴
煉瓦造のアーチ型下水管は珍しい遺構です。
外国人居留地があった頃の歴史を感じます。
横浜市新市庁舎脇にひっそりと佇んでいます。
つまりは…航路標識管理所ってところの下水管てことやろーなんでもレンガ造りのアーチ型のものが珍しいんやとたかだか150年ほど前のことやのにわからんことが多いんやな~😅
こちらは2024年07月01日の訪問となります。航路標識管理所の構内に埋設されてた導水管です。航路標識というのは船が海での位置を知る為の……灯台もその一つですね。関内地区の導水管では卵型煉瓦造り、アーチ型石造り導水管が占められており、アーチ型、かつ煉瓦造りの導水管は珍しかったとか。連絡先は不明です。
市役所周辺に多くあるレンガ遺構の1つ。当時の下水管と言えば卵型のイメージが強いがアーチ型はここだけらしい。(石造りでアーチ型はそこそこ出ている)どうしてここだけなのか。興味深い。
外国人居留地があった頃の遺構。新横浜市庁舎を建てるに至って、多くの遺構が出土されたものの一つ。大岡川夢ロード付近に数点展示されているので、遺構を見に行こう!
横浜市歴史博物館公式ツイッターアカウントの2020年5月2日のツイートによると,「アーチ形の煉瓦造導水館は、これまで関内地域で見つかっていた煉瓦造卵形管とアーチ形石製下水道、両方の特徴を兼ね備えた珍しい遺構です。」と説明している。「煉瓦造卵形管」「アーチ形石製下水道(石造馬蹄形管)」は,いずれも三田善太郎が明治十四年頃に設計したもので,関内地区の通りの地下から頻繁に発掘されている。また,同日のツイートにおいて,「煉瓦造導水管は、航路標識管理所の倉庫基礎の下に敷設されていました。幕末期の大岡川旧護岸の石積遺構を破壊して土管をとおし、石造雨水桝を介して煉瓦造導水管に接続して排水を行っていたと考えられます。煉瓦造導水管がどこへ連絡しているかは不明です。」とも説明している。なお,「航路標識管理所の倉庫基礎」「大岡川旧護岸の石積遺構」は,数十メートル近くに,その一部が展示されている。
横浜市新市庁舎脇にひっそりとあります。アーチ形レンガの横の説明文を読むと「航路標識管理所(旧灯台寮)の構内に埋設されていた煉瓦造の導水管で、管の上部がアーチ形をしています。関内地区では外国人居留地(日本大通りから東側一帯)に整備された卵形の煉瓦造下水道管や、日本人市街(日本大通りから西側一帯)に整備されたアーチ形の石造下水管が発見されていますが、煉瓦造でアーチ形のものは初めての発見です」とありました。近代的な新市庁舎と対比して横浜の歴史を感じるスポットです。
| 名前 |
航路標識管理所 煉瓦造導水管 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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レンガの断面から当時の品質をうかがい知る事ができました。