横浜毎日新聞発祥の地、歴史を感じる。
日刊新聞発祥の地の特徴
初の日本語日刊新聞横浜毎日新聞の発祥を記す記念碑です。
2020年4月27日から公開されている歴史的なスポットです。
横浜市新市庁舎の敷地内に再建された貴重な文化財です。
横浜毎日新聞が横浜で創刊されたことを顕彰したもので、横浜活版社があったと言い伝えられていた旧横浜生糸検査所の敷地内に神奈川新聞社が建立した。その後、横浜開港資料館の調べで本来の場所が中区本町6丁目であることが判明。横浜市の協力で2009年に移設されたが、新市庁舎建設に伴い撤去したが、新庁舎建設に伴い現在の場所に再建。2020年4月27日に除幕式しようとしたが、NEWコロコロによる緊急事態宣言を受け中止となった。
2022年7月10日の横浜市役所新庁舎付近の散策でみつけました。白い御影石に文字を刻んだもので字が読みにくい。字が読めたらなぁ。右上には当時の新聞紙面がレリーフとして貼り付けられています。「横浜毎日新聞」ですが今の「毎日新聞」とは別系統の新聞だそうです。もともとは旧横浜生糸検査所(道路を挟んだ海側)付近にあったものを移設したとのこと。
注意しないと通り過ぎてしまいそうな記念碑。
碑文読みにくし。
どこを探しても横浜は文化発祥の地だ。
この記念碑は、初の日本語での日刊新聞である「横浜毎日新聞」が1871年1月28日(旧暦明治3年12月8日)に横浜で創刊されたことを表したものです。同紙を発行した「横浜活版社」があったと言い伝えられていた旧横浜生糸検査所の敷地内1962(昭和37)年、神奈川新聞社が建立された。その後、横浜開港資料館の調べで、本来の発祥の地は当初の建立場所から約400メートル西の中区本町6丁目であることが判明し、その地を取得していた横浜市の協力で2009(平成21)年に移設されたが、新市庁舎建設に伴い、2015(平成29)年に撤去されていた。2020(令和2)年1月末に横浜市新市庁舎が完成し、6月に全面的に業務が始まるのに伴い、新市庁舎敷地内に記念碑を再建した。これに合わせ、碑の恒久的な存続のため、神奈川新聞社は日本新聞協会に碑を寄贈して今日に至ります。
国内初となる日本語日刊紙「横浜毎日新聞」の発祥記念碑で、横浜市新市庁舎の敷地内に再建し、2020年4月27日から公開しました。
名前 |
日刊新聞発祥の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
3.3 |
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日本で最初の日刊紙である横浜毎日新聞を発刊した横浜活版社があった所です。井伊直弼による開港により横浜が日本の貿易の1番の玄関となり、海外の文化を強く影響を受けました。開港直後の江戸時代から外国人居住区向けの新聞が発行されていたことから、神奈川県知事が日本人向けの新聞の必要性を説き、横浜活版社が1871年にこの地で日本初の横浜毎日新聞を発行しました。居住区の外国人向けの新聞を読んだことがあるのですが、保険の広告や貿易の話が多かった印象があります。横浜毎日新聞も同じく貿易の題材が多かったようですが、時代とともに民権派の話題も増えてきたようです。元々は仮名垣魯文や横山源之助が記者で働いているなど、話題性にも富んでいそうです。次第に経営が悪化し、他の会社に合併されますが、今でもやまと新聞としてweb上の電子新聞を発刊する形で残しています。