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| 名前 |
搗き屋 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
種蔵(たねくら)の美しい棚田が広がる山里には、ひっそりと、しかし力強く地域を支えてきた史跡「搗き屋(つきや)」があります。搗き屋とは穀物を搗くための小屋で、水の力で木製の杵を動かし、米やソバの実を搗いて精白・精製するための伝統的な施設です。種蔵に残る搗き屋は平成20年(2008年)に復元されたもので、今も昔ながらの姿で地域の人々によって守られています。建物は素朴な木造で、屋根は板葺きの上に石を載せる石置き屋根の様式が採用されています。これは厳しい山間の気候に耐えるための工夫です。搗き屋の内部はシンプルながらも非常に機能的。床の一部には大きな木製の臼が埋め込まれていて、水槽に溜まった水の重みで杵が上下動を繰り返し、穀物を搗いていきます。この原理は、昔ながらの唐臼(からうす)というもので、いわば鹿威し(ししおどし)の応用です。搗き屋が飛騨地方で普及したのは、明治から大正時代頃と考えられます。特に種蔵では、水を高台の棚田まで引き上げるためサイフォンの原理まで活用するほど水の利用が発達していて、その技術の延長線上に搗き屋文化も生まれました。昭和30年(1955年)頃までは、種蔵集落のほぼすべての家庭に搗き屋があり、各家が自前で精米・製粉を行っていたそうです。地域の生活にとって、搗き屋は不可欠な存在でした。米の精白はもちろん、ソバの実の殻を取り除いて新鮮なそば粉を作る作業も搗き屋の役目。家族みんなが日常的に利用する設備で、特に収穫期や年末の餅米の精米時期は大忙しでした。搗き屋の響かせるリズミカルな音は、村に活気と安心感をもたらしていたことでしょう。現代においても種蔵の搗き屋は重要な役割を果たしています。特に毎年開催される「飛騨種蔵新そばまつり」では、搗き屋が再び本格稼働し、収穫したばかりの地元産ソバを搗き、新鮮なそば粉を提供しています。この搗き屋で精製したそば粉を使った蕎麦は、格別の風味と香りが評判で、多くの観光客が訪れる人気のイベントとなっています。また搗き屋は地域の人々の誇りでもあります。復元には地元の人々や学生たちも協力し、伝統技術が次の世代へと継承されました。搗き屋が復元され、その独特の音が種蔵に再び響き渡ったこと自体が、地域再生のシンボルにもなっています。周囲には石積みの棚田や伝統的な板倉(いたくら)が数多く残り、これらは搗き屋と深く結びついた史跡です。特に板倉は「家を壊しても倉を壊すな」という言い伝えが残るほど重要視され、搗き屋で搗いた穀物を大切に保管していました。棚田で収穫した米を搗き屋で精米し、板倉に貯蔵するという食の循環が、この小さな山里の豊かさを支えてきました。搗き屋に特別な伝説や民話はありませんが、それだけこの施設が当たり前の日常だった証とも言えます。「搗き屋が動いているうちは村は安泰」という言葉があるように、その音が村の健康を示す指標にもなっていました。種蔵の搗き屋を訪れると、昔ながらの暮らしと里山の知恵を体感できます。美しい棚田を眺めつつ、搗き屋の「バッタン、バッタン」という音に耳を澄ませれば、現代の忙しい日常とは違った、豊かでゆったりとした時間を味わえるでしょう。地元の方の案内を頼むと、実際に搗き屋が稼働する様子を見ることも可能です。昔ながらの伝統が生きたまま残る史跡「搗き屋」。飛騨の山里で、地域の誇りとして息づくこの文化財をぜひ訪れて、懐かしい日本の原風景を肌で感じてみてはいかがでしょうか。