二俣川で畠山重忠を敬う。
畠山重忠公遺烈碑の特徴
二俣川駅から約20分、歴史を感じる散策路です。
畠山重忠軍と北条軍の激戦地を訪れられます。
教科書で学んだ名将の碑がここにあります。
横浜市旭区は畠山重忠公を郷土の誇りとして大切にしています。区のシンボルマークでも、現在活躍しています。ここ数年、畠山重忠公遺烈碑はポケモンGOのトレーナーさん達のあつまる場所でしたが、週末には県外ナンバーの車がチラホラやってきています。旭区民的には、誇らしいことです。
二俣川駅から体感ですが、20分位歩いたように思います。ここは、抜け道沿いにあるので、車で来るのはおすすめ出来ません。公共機関を利用するのがお勧めです。車通りがあるにも関わらず、敷地内に足を踏み入れると、独特な空間でした。(個人の感想です)鎌倉殿の十三人のお陰でしょうか、他にも数名訪れていました。かくいう私も、昔から知っている場所ですが、大河ドラマのお陰でこの場所がどんな所なのか知りました。
TVのおかげでもっと周知になることはいいことなのかも知れませんが、敬う気持ちは忘れずに。
ここの日陰で休ませてもらいました。ありがとうございます。
ここのお店の人優しく動きが早いです。また行きます‼️
二俣川は、元久2年(1205年)6月に畠山重忠軍と北条軍の激戦が行われたところです。明治25年(1892年)に、二俣川駅南口から南方方向に程なく行った現在の県営万騎が原団地の一角に、地元有志により碑が建立されました。
教科書にも載っている名将なお方の碑です。鶴ケ峰には畠山家由来の方々のお墓籠塚もありますので、そちらと一緒にご参拝されることもおすすめします。
| 名前 |
畠山重忠公遺烈碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
045-954-6095 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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なぜこの場所に遺烈碑・地蔵尊が?と思い少し調べたところ…「ここに畠山重忠公の彷徨している魂を鎮めんがために遺烈碑を建てる(明治25年)」「万騎が原団地建設の際に多くの人骨が出たので、二俣川合戦の畠山重忠軍の遺骨であろうと塚を立て地蔵を祀った(昭和34年)」との記述が見つかった。果たしてほんとうに畠山勢百三十余騎(総兵力五百程度?)の遺骨なのか?二俣川の合戦の戦場は実際には現・鶴ヶ峰駅西の帷子川あたりであり、重忠公以下が討ち死にしたのも厚木街道と国道16号が交わる付近。もしかしてその人骨は、牧が原(のち万騎が原)に陣を張った北条勢の葬られた戦死者だったのでは、と内心思いつつも遠い古の場景を想い描き、お地蔵様に合掌してきた。