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| 名前 |
楽間の宝塔 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
高崎市指定史跡。案内文や高崎市文化財のホームページを参考に抜粋すると、近世の石造物は一般市民により建立されたものが大部分てあるのに比べ、中世の石造物は武士の信仰に基づくものが多いようである。高崎市内の中世石造物は長野氏関係の砦や居館跡の周辺に多く分布している。「町屋の宝塔」と共に「楽間の宝塔」もその一つである。現在、井野家の墓地にある(道路一つ中に入った墓地です。少し分かりづらい)三基の宝塔は、かっては付近の笹薮の中にあったもの、と言われている。高さは1.6m程で町屋の宝塔よりも小ぶり、いずれも塔身が短く、下部がすぼまる壷形をしている。私の勘違いでなければ、近くの案内文での記載は、榛名塔としているが、ホームページ内の記述では赤城塔としている。良くわかりません。上半はくびれて首のようになっていて、その上に屋根型の奥蓋(おくがい)と相輪(そうりん)が乗せられている。基礎の表面には銘文が刻まれ、生長三年(1430年)、永享九年(1437年)、嘉吉三年(1443年)とある。宝塔全体の分布を見ると高崎市北西部と井野川下流域に分布が限られる傾向にある。五輪塔や宝篋印塔のような市全体への分布はない。このことからも榛名山の山岳信仰や強い密教思想に裏付けされた石造物である、と記している。