郷土の英雄を祀る 室田山長年寺。
長年寺長野氏の墓の特徴
郷土の英雄を祀る室田山の静かな長年寺です。
曹洞宗のお寺としての歴史が感じられます。
あっさりとした雰囲気が訪問者を迎えます。
室田山 長年寺(群馬県高崎市)歴史:高崎市榛名町下室田(旧 群馬郡榛名町)にある室田山長年寺は曹洞宗のお寺である。鷹留城主長野氏の菩提寺として知られ初代鷹留城主の長野業尚をはじめ箕輪城主である長野業政(ながのなりまさ)など長野氏累代七人の五輪塔の墓があります。長年寺の創建は室町時代末期(戦国時代)の文亀元年(1501年)と云われ、開祖は長野業政の祖父・長野業尚(ながのなりひさ)、開山は白井雙林寺三世住職曇英恵応(どんえいえいおう)禅師と云われ五百年以上の歴史があります。長年寺の裏手にはお寺と同時期に築かれた鷹留城(たかとめ)があり、境内地は鷹留城下となっていました。この鷹留城は、明応年間(1492-1501)、当地を支配する長野尚業によって築かれた山城である。長野尚業の子、憲業が本拠をここから約十二キロほど離れたところに、永正九年(1512年)に築かれた箕輪城に移すまでの間、長野氏の本拠であった。その後も永禄九年(1566年)に武田勢によって落城するまでの間、箕輪城の有力支城の一つであった。日本城郭大系には 「箕輪城と相助ける別城一廓の関係にある」 と記されています。 城の規模は、南北430メートル、東西300メートル、本丸の高さは東側の谷から70メートルといい、群馬県内でも有数な中規模な山城である。現在にのこる遺構として、本丸以下の曲輪、虎口、大手口、搦手口、井戸、掘切の跡が認められる。昭和五十七年(1982年)四月一日に市指定史跡に指定されています。また、長年寺には、箕輪城主長野家の菩提寺として建立された古刹ゆえに、木部姫にまつわる伝説が残っています。本堂したの境内に「伝説の井戸」と言われている井戸があり、嫁ぎ先の木部城の落城から逃れ箕輪城も危ぶまれたため木部姫の一行が榛名山へ向かう途中に立ち寄り、手足を洗った井戸とされています。その後、榛名湖に立ち寄りそこでこの世を憂いて湖に入水してしまいます。それに気づき同行していた腰元たちも後を追うように入水したという。伝説では、湖の水が大きな波となり風と共に空高く舞い上がったと思ったら木部姫が「おろち」となって現れ、あたり一面大荒れな風波が立ったという。木部姫は白い大きな大蛇となり、腰元たちは「かに」となって姫様を探しているという伝承です。そして、長年寺の住職が登山し、ねんごろに木部姫らの霊をとむらい、義女塔をたてたとの事です。今でも木部神社として湖畔にあります。「伝説の井戸」と云われる所以は次の伝承から来ているようです。木部姫が入水した数日後、長年寺に美しい娘が訪ねて来て、「長野家の血脈(家系図)が欲しい」と泣きながら乞うたそうです。しかし住職は、襖に映るその女の影が蛇の姿だったためにこれを断わりました。するとその娘は、自分は木部姫であると言い、榛名湖に入水し本性の大蛇になったことなど素性を明かし、もし自分の願いが聞き入れられたならば、永劫に寺に不足の無い様にしましょうと再び懇願してきたため、住職は血脈を手渡す事にしました。娘は喜び、厚く礼を言って立ち去ったといいます。その後、この寺で膳椀が多数入用のときは、寺の井戸に呼びかけると必要な膳椀が浮き出るようになった。井戸の底は榛名湖に通じていると今でも信じられているとの事です。これが「木部姫の伝説」にまつわる「伝説の井戸」の言い伝えである。以上Wikipediaより引用。
| 名前 |
長年寺長野氏の墓 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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郷土の英雄の墓にしてはあっさり。徳川からチヤホヤされなかい家系だから…周囲のお墓は中島さんばかりで、中島稲荷とか中島川とか、お城含めて曰くありそうです。