歴史が息づく宝橋の親柱。
宝橋の親柱の特徴
結構古い歴史のある橋の親柱が特徴的です。
昭和4年に竣工した復興橋梁です。
解説板がないため、自ら探求心が試されます。
なんかのモニュメントかと思ってたら橋の親柱だったのね。
宝橋は昭和4年(1929)に竣⼯した関東⼤震災の復興橋梁のひとつみたいです。宝橋はポートサイド地区の再開発事業に伴い廃⽌されましたが現在も橋のあった際に親柱が4基すべて残されたみたいです(ΦωΦ)
こちらは2024年04月02日の訪問となります。親柱とは橋の四隅を支える柱で、並びで察せる通り元はここではなく、目の前の横断歩道付近に橋があったみたいです。川は今、暗渠(道路の下)なのかな?橋を偲んで親柱だけ残される事があるようです。ちなみに別の橋の親柱として移植される事もあり、この橋の親柱は南区の共進橋という橋(蒔田公園近く)のものでしたが、約40年前、首都高建設の際に架け替えられた際、都橋に移されました。建て替えと書きましたが共進橋自体は今も存在します。まあ、今は普通の橋です。
『たからはしのしんちゅう』とそのまま読むようです。どこからどこへの橋だったのでしょうか?
関東大震災の後で架橋された復興橋梁のひとつ。1929年竣工。読みは「たからはし」で濁らない。親柱は門柱として再利用されたり記念碑として2か1基が残されることがあるらしいが、4基全てが特に理由もなく残されているのは珍しいかもしれない。何かしらの意図があって、残しているのならば説明板を設置しても良いと思う。なんとなくで残した可能性もありそうではある。
歴史価値のある親柱だと思われますこの場所へ置かれて居る謂れは分かりません詳しい方がいたら教えて下さい。
| 名前 |
宝橋の親柱 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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横浜にしては珍しく解説板がない。親柱だけ並んでいる。