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天王様の由来この地域は地形からして山の多い所で、山仕事は住民の生活にとって大事な仕事で、山の神である十二様を信仰していた。ところが江戸時代、寛政年間のはじめ頃、この地域に疫病が流行り、村人は大変な難儀をした。困り果て、疫病祓いをすることとなり、代表者が最もご利益のある八坂神社(天王様)へ早速参詣し、疫病退散の願をかけ、お札をいただき お祀りしたところ、あれほど猛威を振るった疫病がたちどころに鎮まった。以来、天王様信仰が盛んとなり、寛政五年(西暦1792)に村人全員で石祠を作り、この地に祀った。時は移り明治となって、江戸時代からの村は大きく変わり、天王様は他の神社に先駆けて小坂子「八幡宮」に合祀されたが、明治十五年(西暦1881)頃、再びこの地に疫病が流行した。村人は昔の出来事を伝え聞いていたので、天王様の祠を元の位置に安置したところ、みるみる病人の容態は回復し、幾日も待たずに疫病は治ったと伝えられる。こんなことがあってから天王様信仰は一層盛んとなり、縁日である七月十六日には子供の相撲大会が昭和三十五年頃まで行われると共に、今でも毎年、縁日には村人の無病息災を祈念し、一区関係者による祭典が続いている。こうした信仰を伝え先人の遺徳を偲ぶため、当組合ではこの地に天王様由来碑を建設し、子孫に伝えるものである。平成十八年七月吉日小坂子第一区納税組合(芳賀村史より撰文)