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高津戸峡の左岸道路に面していて、高津戸峡から登った要害山散策路の入り口にあります。柵とは古代の城で、要害山に平安末の承徳・康和年間に山田氏によって築かれたといいます。鎌倉時代に山田氏が滅ぶと里見氏が入り天正4年に上杉氏に打たれるまで続いたそうです。碑は倒れて断裂したものが継がれています。明治23年(1890)成瀬大域の撰・書(和文)、井龜泉鐫。「上野国山田郡高津戸の柵」にはじまり「いまもいくさのとよミとそきく」で終る。・上野国高津戸古柵碑 明治二十三年十二月 賜硯堂成瀬温書井亀泉鐫[臥11100]